ウヨクとサヨク、「言論の自由」に自覚的なのはどっち?

「ネット上の争いでは、リベラルは99%負ける」 。
右からも左からも興味を誘えるいい見出しですね。

ハフィントン・ポストに出た、津田大介氏へのインタビュー記事です。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/07/daisuke-tsuda-interview_n_12383414.html

ネット上ではウヨクが元気でサヨクは目立たないことをわたしも感じていましたが、自分の性行で閲覧ジャンルが偏っているだけなのかもしれない、と思っていました。
実感が現実とずれていないことを知ってほっとしました。

ネット上ではなぜ保守の方がリベラルよりも強いのか。津田氏によれば以下の通り。
  • 保守は「自分たちは言論を抑圧されている」という意識がある。だから自らの関心事について熱心に勉強し、自分たちの思想や目指すものを熱心に主張しようとする。
  • かたやリベラルは、テレビや新聞で依然既得権益を確保しているため、そこに安住して当事者意識がない。ITなど新しい伝達技術を敵視する傾向も強く、情報発信に不熱心。
  • そして両者が論争になれば、リベラルは「多様性の尊重」を理念として掲げている以上、保守の主張も多様性の一つとして認めざるを得ない。無理をして相手を否定しようとすると、欺瞞呼ばわりされてしまう。土俵が違うからほとんど勝ち目はない――というわけです。

筋の通った分析だと思いますね。わたしの実感に近いです。
リベラルの人たちの態度って、いろんな矛盾を含んでるんですよね。
自国の与党や首相を独裁呼ばわりしておきながら、本当に独裁をやってる他国にはやたら融和的な矛盾。
自国の与党や首相を説得することもできないのに、いざ他国に攻められそうになったら「対話すればなんとかなる」と信じて疑わない矛盾。
軍属が一人事件を起こしただけで「米軍は出ていけ」と逆上するくせに、コリア国籍者がいくら罪を犯しても総連や民団に抗議しない矛盾。
企業や国家を敵視するくせに、給与や福祉サービスはもっとよこせと要求する矛盾。
教授の椅子とか放送免許とか記者クラブとか押し紙とか、さまざまな既得権を握ってるくせに弱者の味方ヅラする矛盾。

彼らの仇である自民党も、党是と現実のはざまでいろんな矛盾を抱えていますが、それなりに実務をこなしていますから幹部たちの発言には説得力がある。実務を言い訳にできないサヨク野党こそ、主張を見直して矛盾を解消するなり、他者を説得できるだけの理屈を整えるなりしなければならないのに、あまりそこには関心がない感じです。

彼らが力を入れていることと言えば、「子どもたちの未来のために」「子育て中のお母さんたちは」「お年寄りがいきいきと」――なんてかったるい物言いで有権者に取り入るか、街頭で「米軍は出ていけ」「アベ政治を許さない」「9条を守れ」「日本しね」と騒ぎまくるかのどちらか。さもなければ日曜朝のテレビでインテリぶったおっさんどもがしたり顔で愚痴を言い合ってるイメージです。

このインタビュー記事のコメント欄に、典型的リベラルな感じの方の投稿がありました。
失礼ながら引用させていただきます。

現代の日本人は、自由や人権の尊重される世の中が、水や空気と同じく
「あって当たり前」
「どれだけ軽視しても絶対に壊れない不滅の秩序」
であると錯覚している部分があるのではないでしょうか
だからヘイトスピーチや、過激な国粋的、民族主義的、全体主義的思想を平気で主張する、あるいは黙認、追認する
自由や人権や平等を享受できる日本(少なくともその実現に邁進してき戦後日本)の当たり前の風景が、人類が過去流してきた大量の血と汗と、膨大な屍の上で、ささやかに実った果実であること、
このささやかな果実にすらありつけず今も世界中で血が流れ続けていることを今一度私たちは認識することが必要と思います
誰かを排斥したその次には、もしかしたら自分や家族が排斥の対象になるかも知れないという想像力が欠けているように思います
平和ボケという言葉はかつてはもっぱらリベラルの側に投げかけられるものでしたが、今では保守、右翼の人々に一層似合う言葉かも知れないと感じています



この文章、リベラルの多くは「そのとおり、いいこと言う!」と共感するでしょうけど、津田さんが言ってる「土俵が違うのでリベラルは保守に99%勝てない」のいい例だと思いますね。

>現代の日本人は、自由や人権の尊重される世の中が、水や空気と同じく
>「あって当たり前」
>「どれだけ軽視しても絶対に壊れない不滅の秩序」
>であると錯覚している部分があるのではないでしょうか

錯覚してるのはリベラルの方でしょう。桜井誠とかが「在日は出ていけ」と叫んでいるのは、このままでは日本人の自由や人権が外国人に奪われると危機感を抱いているからです。
日本人の自由や権利を守るためにも、いざとなれば血や汗を流すことも覚悟すべしと訴えているのです。

>誰かを排斥したその次には、もしかしたら自分や家族が排斥の対象になるかも知れないという想像力が欠けているように思います

思想が異なる他者を排斥し抑圧してきたのはおまえらリベラルじゃないか、というのが保守側の主張です。
総連や民団を批判するのは保守の自由。その保守を批判するのはリベラルの自由。そのリベラルを批判するのも保守の自由。
あとはどちらの主張が説得力を持つか、日本の国益にかなっているかを国民に判断してもらえばいい。
「差別だ」「民族主義だ」「ファシズムだ」――安易なレッテル貼りで保守の議論を封じ込めようとするリベラルは、「売国奴!」と連呼するしか能のない雑魚のネトウヨと同レベルです。ボス格である保守論客には勝てないでしょう。

極右wの安倍政権のおかげでヘイトスピーチ規制法が成立しましたから、「ヘイトスピーチをするな」という批判は正当です。けれどそれは相手の発言がヘイトスピーチであることをきちんと論証できることが前提です。国粋主義や民族主義に至っては、それに関連する主張が法律で禁止されているわけではありませんから、それらがどうして日本の不利益となるのかをきちんと指摘できなくてはなりません。あ、言っときますけど「軍靴の音ガー」は聞き飽きましたので。
考えてみれば、共産党が大きな顔をしていられるこの日本で、民族主義政党や全体主義政党が存在を許されない理由はないですよねえ?
……そういう面倒くさい議論に応じる気力と根性が今のリベラルにあるのかどうか。そこを津田さんは問題提起しているのだと思います。

特亜諸国の実態が広く知られるようになり、リベラルが弱体化してくれたおかげで、保守はだいぶ自己主張をしやすくなりました。言論の自由のありがたさを実感し、さらなる権利拡大を目指して張り切っているのはむしろ保守側なんですよね。
現実社会ではまだまだリベラルの圧力が強く、愛国的な言動はしづらいのが現実です。デモやイベントでもないのに旭日旗Tシャツなんか着て歩いてたらちょっとアレですもんねえ。

…そう、ぜいたくなんですよ。リベラルの皆さんが「日本しね」とか「安倍は人間じゃない、叩き斬ってやる」とか叫んでも平気でいられるのは。
そのうち、テレビや新聞でも保守がリベラルを凌駕すれば、「民族差別だ!」のレッテルパワーと「売国奴だ!」のレッテルパワーが逆転するかもしれません。
そんな世界が嫌ならば、リベラルのみなさんは、せめてわたし程度のにわかネトウヨは調伏できるようにがんばってほしいものです。
スポンサーサイト

テーマ : サヨク・在日・プロ市民
ジャンル : 政治・経済

「相対的貧困」を振りかざすNHK擁護派の矛盾

子どもが親におもちゃをねだるとき、必ず言うセリフがありました。
「だって、クラスのみんなが持ってるよ」。
それをつっぱねる親の言葉もお決まりのものでした。
「よそはよそ、うちはうち」。
 口をとがらせる子どもに、親は畳みかけたものでした。
「エチオピアやバングラデシュの貧しい子どもたちはね、おもちゃどころかその日の食べ物すらなくて苦しんでいるんだよ」
「そんなの関係ないじゃん!」と反論しても通用せず、子どもはふてくされるしかありませんでした。

この会話は、いまNHKニュース7の「貧困女子高生」報道で熱くなっている「絶対的貧困」と「相対的貧困」の論争そのままですね。

アニメやゲームに散財してるくせに、あれのどこが貧困なんだ」と騒ぐNHK批判派。対して擁護派は「バッシングする連中は相対的貧困という概念を理解していない」「貧乏人にはささやかな趣味や贅沢すら許されないのか」と応戦しています。

 擁護派は「相対的貧困」を強調していますが、 わたしがYouTubeで視聴した限りでは、番組内で相対的貧困という言葉が使われることもなければ、それに類する概念が示されることもありませんでした。
 統計上の「相対的貧困」は、所得が中心値の半分以下の人々を指すもので、それが番組が冒頭に強調した「日本の子どもの6人に一人は貧困」の根拠です。しかし番組では「所得がある一定の水準に満たない貧困状態」と表現されていただけでした。
 
 巷では 「日本の相対的貧困率は先進国の中でも最悪レベル!」と騒がれておりますが、そもそも、OECDが調査した国別の相対的貧困率は机上の計算値ですから、日本国民の実情や実感と一致するとは限りません。
 病気の診断だって、レントゲンとか血液検査とか問診とか、いろんな観点から調べた上で結論を下しますよね。
 本気で貧困を把握したければ、当人の生活実態や自覚、周囲の認識やセーフティーネットの程度、居住地域や所属集団における比較など、多角的な視点が必要になります。日頃

「市民一人ひとりの実情に応じたきめ細かい福祉サービスを!」
「日本人はもっと世界に目を向けグローバルな価値観を持つべき!」

 と訴えている人権派(NHK擁護派)の皆さんが、内向きな杓子定規の典型ともいえる相対的貧困率をことさらに重視するのは、ちょっと矛盾してるような気がするんですよね。
 ま、統計なんて所詮道具ですから、誰でも好きなように利用すればいいのかもしれませんが。

 道具であるという点はテレビというメディアも同じです。報道番組にもストーリーがあり、ストーリーに沿って映像や音声が巧みに組み立てられているからこそ、視聴者は問題を理解し共感できるわけです。それはべつにいいんですが、今回のNHKは道具の使い方がずさんでした。

 貧困というテーマで真っ先に思い浮かぶのが【我々は敗戦の瓦礫の下から這い上がり、貧しいながらも努力して豊かな社会を実現した】という戦後日本のストーリー。これこそが日本人の誇りでした。
 小説やドラマでも、老若男女を問わず喜ばれるのは【困難に耐えながら(orものともせずに)夢に向かって努力する】式の物語です。
 しかしあの番組は、ほとんどこのセオリーの逆張りでした。

①貧困かどうかビミョーなのに本人は自分が不幸だと言っている
②貧困を乗り越える「努力」がイマイチ見えてこない
③本人の語る「夢」が甘い

 これだけそろってしまうと、視聴者から突っ込まれるのはある程度仕方がないんじゃないでしょうか。
 いや、女子高生当人を批判したいんじゃないんですよ。彼女はあの番組やイベントにおいて、自分に求められている役割を精一杯果たしただけですからね。わたしが批判したいのは、ビミョーな素材を安易に番組化して視聴者を納得させようとしたNHKの姿勢です。

①について。
 自分の不幸を公言しちゃう人って、日本人の間ではあまり好かれませんよね。まして相対的貧困というものは、その母集団(彼女の場合は学校)の中で当事者がどの位置にいるかが問題なわけですから、集団の外部の人間(視聴者)を共感させるには相当の工夫が必要です。でないと冒頭に挙げた親子の会話のように「もっと苦しい人はたくさんいる」と突っ込まれるリスクが高く、実際ネット上ではその通りになりました。
 たとえば親や友人の口から「あの子はとっても苦労してるんです…」と言わせたほうが、女子高生本人へのツッコミは少なかったでしょう。
 まあ、本人が堂々と貧困を訴えるのがイベントの主旨であり、番組の核でもあったわけですから、どうしようもなかったかもしれませんが。

②について。
 ネット上では、件の女子高生が自分の好きなことにはしっかりお金を使うタイプであったことが指摘されました。従来の貧困観とはギャップがあることは確かで、分かりやすい映像とストーリーで勝負しなければならない番組側としては、不都合な事実であったことは確かでしょう。
 彼女が持っているペンがいくら、DVDがいくら、ゲームソフトがいくら、ランチがいくらと畳みかける批判派に対して、
個々人の一場面を切り取って貧困を語るのはやめろ!
 と怒る声もありますが、だったらキーボードや保冷剤という”一場面”で貧困を語ろうとしたNHKは何なんだってことになるわけで。
 ま、彼女の本当の「現状」は番組から受ける印象ほど深刻ではないらしいということが明らかになったのですから、われわれ視聴者は腹を立てるのではなく、むしろホッとすべきかもしれませんw

③について。
 件の女子高生はアニメが好きで、将来はキャラデザの職に就きたいようですが、専門学校は必須条件じゃないだろうに――と、わたしのようなオッサンは言いたくなります。
 ネットに作品を公開してファンを獲得したり、同人活動に励んだり、コンテストに応募したり。できることはいくらでもあるはずなのに、「お金がなくて専門学校に行けないから将来は真っ暗」なんて短絡的な理屈で視聴者を同情させようとするのはちょっと乱暴だったんじゃないでしょうか。
 これがもし「看護学校に行きたい」「法律を勉強したい」せめて「美大を目指したい」とかだったら、観る側も抵抗感が少なかったんですけどね。
 そもそも貧乏が嫌ならもっと堅実な、もしくは稼げそうな職業を目指そうと思わないんですかね。母ちゃんを早く楽にしてやればいいのに。ま、大きなお世話ですけど。
 ていうか本気でデザインをやるつもりなら、なおさらちゃんと貯金して、早くパソコンとイラストレーターを買えるようになれよって話。あ、これも大きなお世話なのかなw


 繰り返しますけど、女子高生本人をバッシングするつもりはないんですよ。けれど出演者のツイッターがバレただけで背骨がぐらつくような番組を作ってしまったのはNHKの責任ですよね。一地方のイベントの一スピーチで収まっていれば何の問題もなかったものを、全国放送しちゃったわけですから。
 これがもし「貧困とは何か」を問う番組だったら、ネットの反応は全然違っていたはずです。
 もしくは、キーボードだの保冷剤だのといった中途半端な貧困アピールではなく、「進学できない」という部分に焦点を当ててもっと丁寧に描いていれば、へそ曲がりなネトウヨの揚げ足取りを防げたかもしれません。DVDやランチの値段と入学金や授業料の値段とでは次元が違いますからね。

 件の女子高生はイベントのスピーチで
「あなたの当たり前は当たり前じゃない人がいる」ことを知ってほしいと訴えました。
 番組のテーマは相対的貧困だ!というNHK擁護派の主張に沿えば、彼女のスピーチは「何を当たり前と感じるかは人それぞれに違うのだから、貧困の定義もみんな違ってみんないい」というメッセージだと受け取っていいんでしょうか。

 よくないですよね。

 本人としては、「あなたが当たり前に享受している幸せを、享受できていない人がすぐ身近にいるんですよ」もしくは「あなたの当たり前はもう当たり前じゃないんですよ」と訴えたかったのでしょう。イベントの主催者やNHKも、一人親家庭への支援拡充や大学無償化の実現に向けた世論作りがしたかったはずです。

 擁護派の相対的貧困論は、番組の一番肝心なメッセージをウヤムヤにしてしまうんですよね。
 相対的貧困率を本気でゼロにしようとすれば、民主カンプチアに倣うしかありませんが、そんなデストピアを望む日本人は誰もいないはずです。
 相対的貧困率という指標は、先進国民の貧困観を問い直すための手がかりの一つでしかなく、「目の前の貧困」を論じる役には立ちません。映画の入場料やランチの値段にこだわる批判派と、机上の数値を振りかざす擁護派。どっちの声がよりリアルに近いものでしょうか?
 貧困をめぐる議論で重要なのは、憲法で定められた「健康で文化的な最低限度の生活」とは何かを突き詰め、日本国民の共通認識をそれぞれの時代に応じて適切に調整していくこと。これは結局、日本国内における「絶対的貧困」を論じることにほかなりません。

 高利奨学金の是正や一人親世帯への支援など、行政による対策はもちろん必要ですが、日本経済を建て直さなきゃ貧困問題はどうにもなりません。さもなければ、貧困線の引き上げどころか現状維持すらできない時代が到来するかもしれない――そういう危機意識を持っている人ほど、あの番組やツイッターに物申したくなるんじゃないでしょうか。
 だからこそリベラル系野党のみなさんには、アベノミクスに取って代わる頼もしい経済政策の提示が期待されているのに、残念ながら彼らにはその自覚も能力もありません。彼らができるのは批判と要求だけ。だから議論のすり替えや逆ギレで逃げ、片山さつきバッシングに没頭して保守派の軽蔑を買うのです。不幸ですねえ。

 NHKは罪深い番組を流してしまったものです。

テーマ : 報道・マスコミ
ジャンル : 政治・経済

なぜサヨクはMRJの試験飛行に反対しないのか

 って思うんですよ。
 ねえ? オスプレイなんか試作機の初飛行は1989年、以来何百機も製造されて飛行実績を積んでいるのに、サヨクの皆さんは明日にも今日にも墜落するかのように騒いで抗議活動を続けています。

 かたやMRJは今まで一度も飛んだことのない機体。しかもオスプレイより巨大な図体にジェット燃料を積んでいます。そんな危険なシロモノが初飛行する飛行場はなんと! 軍事基地でもメーカー専用飛行場でもなく、住宅密集地に囲まれたフツーの県営空港。多くの民間機が飛び交うところで初めての飛行試験だなんて・・・! 危険がありすぎる! 危険がありすぎますよね!?
 もしMRJが住宅地に墜落したら、その責任は事前の抗議行動を怠ったサヨク団体にあるといえるに違いないと言わざるを得ないと考えられるのではないでしょうか!!

 ・・・というわけで、MRJ初飛行成功おめでとうございます。サヨクの皆さんは命拾いしましたね。
 三菱が踏み出した大きな一歩は、韓国のみなさんにとっては「戦犯企業」が踏み鳴らす軍靴の音に聞こえるかもしれません。

 なんてそんな下らない思考についつい走ってしまうわたしも、だいぶネトウヨが板についてきたものです。

テーマ : サヨク・在日・プロ市民
ジャンル : 政治・経済

先に進む安倍政権、座り込んでゴネ続ける野党連合

2015/9/25 信濃毎日新聞2面

首相、経済と社会保障 全力
総裁再選会見「参院選公約に改憲」


 安倍晋三首相は自民党総裁選での再選を受けて24日夕、党本部で記者会見し、今後の政権運営に関し、経済再生と社会保障の充実に全力を挙げる考えを表明した。・・・憲法改正を来夏の参院選でも公約に掲げると明言。
・・・
 経済重視で政権運営に当たる姿勢を前面に、重点的に進めてきた安全保障分野からの転換を図った。参院選を見据え、成立した安保関連法への国民の批判をかわす狙いもあるとみられる。

局面転換狙い「経済重視」
[解説]
 安倍晋三首相が24日の記者会見で、経済最優先で政権運営に当たる姿勢を打ち出したのは、安全保障法制の整備を推し進めたことで世論が離反した状況を踏まえ、局面の転換を図る狙いがある。来夏の参院選に向け、支持率を回復させたいとの思惑があるのは間違いない。・・・


 局面を転換して国民の批判をかわす狙い、ねえ。じゃあ、もし安保関連法制がスムーズに成立して支持率も下がっていなかったら、安倍首相は会見でどんなことを言っていたでしょうか。…やっぱり、同様に「経済重視で頑張る」と表明していたんじゃないですかね。
 集団的自衛権をめぐる法整備という一つの仕事がクリアできたから、次は前から課題になっている経済対策という宿題に挑む。当然なことじゃないですか。

 それに、安倍首相が本当に安保論争にフタをしたいと思っているのなら、来年夏の参院選で憲法改正を公約に掲げると明言したのは辻褄が合いません。
 むしろ自民党としては、野党がこれまで「安保法制は憲法違反だ」と主張してきたのを逆手に取って、「安保法制は合憲だが、これ以上無用な誤解や間違った解釈が生じないよう改憲が必要だ」と切り返すこともできるようになりました。そうなれば、今回「解釈改憲は憲法改正の妨げになる」という思いから安保関連法に反対していた改憲派の支持も得られるでしょう。

 ただ、改憲が自民党の公約だとはいっても、それが選挙戦で主たる争点になるかどうかは別問題です。野党がそれについて騒ぎ立てても、有権者が付いてくるかどうかはわかりません。
 常識的に考えれば、来年の参院選の最大の争点は消費税になるでしょう。

 もともと、自民党がこのところの国政選挙で圧勝できているのは、アベノミクスに象徴される経済政策が期待されてのことです。しかも、安倍政権は消費税再引き上げの時期を2017年4月に先送りし、「再延期は行わない」と背水の陣を敷いています。現状の支持率がどうであろうと、経済政策に失敗したらどのみち安倍さんはお払い箱になるのです。
 これがもし習近平や朴槿恵だったら、国民の民族感情を刺激し、不満をよその国に向けさせることで政府の責任をごまかそうとするかもしれませんが、さすがにそんな姑息な手は日本国民に通用しないでしょう。

 安倍政権の安保政策が間違っていることが証明されるには、日本が米国の身勝手な戦争に加担して世界中を敵に回し日本人に多数の死者が出るのを待たなければなりませんが、そんな事態はいつ来るやら来ないやら分かりません。
 一方で、アベノミクスの成否はあと1~2年で判断が下されることでしょう。野党が本気で安倍政権を打倒したければ、アベノミクスに勝る経済政策を打ち出すことが手っ取り早いはずですし、それができなければ政権を担う資格がありません。外交や安全保障政策では安倍政権を支持する保守派の中にも、アベノミクスを痛烈に批判する人たちは多くいます。

 ところが、野党の行動はまったく見当違いの方向に進んでいます。
 同日付の信濃毎日新聞4面。

安保法批判かわし鮮明
経済優先へシフト 首相会見


・・・
 野党も負けていない。首相のこうした戦略に対抗し、あくまで世論の関心を安保法に引き付けて参院選で安倍政権を追い詰める作戦を描く。
 民主党の蓮舫代表代行は会見で「安保法の白紙撤回に向け、一致団結して取り組む」と強調した。共産党の志位和夫委員長も会見で「(安倍政権は)時間がたてば、国民は忘れるという気持ちだろうが、そうはいかない。国民をなめてはいけない」とくぎを刺した。
 経済か安保か―。与野党の世論争奪戦。「安保法でついた首相の強引なイメージを拭うのは簡単ではないだろう。参院選では劣勢を強いられかねない」。自民党閣僚経験者はつぶやいた。


 民主党と共産党の選挙協力には、SEALDsの皆さんも大きな期待を寄せているようです。

2015/9/16 J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2015/09/16245404.html

安全保障関連法成立後のSEALDs 賛成議員の落選運動を展開する

 安全保障関連法案に反対する学生団体「SEALDs(シールズ)」の中心メンバー、奥田愛基(あき)氏(23)ら3人が2015年9月16日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で会見した。近く成立する見通しの安全保障関連法案が違憲だと主張し、採決を見送るように求めた。

 一方で、奥田氏は法案が「通ってしまうだろう」とも発言。今回の抗議活動で参加者の層が広がったことなどから、今後は安保法案に賛成した議員への落選運動を展開する考えを明らかにした。奥田氏は、今回の抗議活動を通じてできた参加者のつながりが「そのまま選挙に影響を与えると思っている」と話しており、焦点は16年夏の参院選に移る。

すでに「賛成議員を落選させよう」が「合い言葉」

 奥田氏は今回の安保法案をめぐる活動を通じて、日本でもデモという形での抗議活動が定着したことを強調。法案通過後も、野党が何らかの争点で共闘できれば、「落選運動」が抗議活動の形として効果を発揮するとの見方を示した。

「世代、地域を越えて、人々が声をあげている。このつながりが、そのまま選挙に影響を与えると思っている」
「野党がうまく協力していただければ、次の選挙で応援をしやすくなる。現在では、『賛成議員を落選させよう』というのは合い言葉のように使われている。いわゆる『法案が通る前の運動』とは、違う形になりつつあるのではないか」


 うう、若いのにネガキャン以外にやるべきことが見つからないのかい、キミたちは。そんなんだからネトウヨから「ただの批判魔」なんて呼ばれちゃうんだよ。

onepiece.jpg



 野党連合(略して野合)が政権奪取に成功したとして、安保法制の白紙撤回は本当に実現するのでしょうか。有権者は、かつての民主党政権がいかに公約を反故しまくったかをしっかり覚えています。
 今国会で成立した安保関連法制は、10本の法改正と1本の法新設で成り立っていました。

●改正
 1.自衛隊法
 2.国際平和協力法(いわゆるPKO協力法)
 3.周辺事態安全確保法 → 重要影響事態安全確保法に変更
 4.船舶検査活動法
 5.事態対処法
 6.米軍行動関連措置法 → 米軍等行動関連措置法に変更
 7.特定公共施設利用法
 8.海上輸送規制法
 9.捕虜取扱い法
10.国家安全保障会議設置法

●新設
国際平和支援法

参考:http://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/pdf/gaiyou-heiwaanzenhousei.pdf

 新法を撤廃するのはいいとして、改正された10個の法律は、再改正して元の状態に戻すだけでいいんでしょうか。
 共産党や社民党(旧社会党)は、個々の法律が成立した当時も「軍靴の音ガー」と騒いで反対していたんじゃないんですかね。だったら改正撤回ではなくあくまで法律の全面廃止を主張するのが政党としての筋のはずです。まずこの点で民主と共産・社民の間で対立が生じることになるでしょう。
 仮にその対立を乗り越えて無事公約を実現させたとして、その後はどうするのでしょうか。
 サヨク野党のみなさんは、今国会で「選挙の争点になっていなかったものを多数決で決めるな!」と叫び続けていました。ならばことさら「戦争法撤回」を大声で訴えて勝利した野合政権は、他の政策課題についてはすべて全会一致か国民投票で決めなければならないことになります。
 ブーメランというか、墓穴ですね。

 志位委員長は「時間がたてば、国民は忘れるという気持ちだろうが、そうはいかない」と強気らしいですが、うーん。
 時間が経てば忘れるっていうよりも、時間が経てばサヨクさんたちの主張がただのこけおどしだったとバレるだけじゃないですかね。「日本が再び侵略国家になる」「テロリストの逆恨みを買って日本人がバタバタ殺される」「徴兵制が復活する」――これらが現実化しないことには安保法制の誤りは証明されないのですから。

 国会前のデモで演説している野党党首の中には、かつて「国民の生活が第一」を標榜したり、党名にまで掲げていた皆さんがいますけど、国民の生活に直結する景気対策をほったらかして憲法論議にかまけていていいんでしょうか。

 来年夏までに日本の景気が良くならなければ、参院選の争点は増税の是非を含む経済政策になる。
 来年夏までに日本の景気が良くなれば、そのまま自民党への追い風になる。

 安保法制なんかにこだわっている限り、どっちに転んでも野党に勝ち目はありません。
 逆に、説得力のある経済政策を示し実際に成果を出しさえすれば、その手法が少しくらい強引でもむしろリーダシップとして賞賛されます。要するに結果を出した者、もしくは出せそうな者が勝つってことです。

 もし、知恵を絞っても経済対策の妙案が浮かばないのなら、野合の皆さんが次に争点にすべきなのは選挙制度や国会運営の改革です。得票率が低くても一つの党がボロ勝ちできてしまう現状、与党の思惑一つで「強行採決」できてしまう現状を変えようと訴えるのなら、それなりに整合性と説得力があります。ぎゃくに、野党がそれらの問題を放置するのなら、今後は同じネタで与党を批判する資格はありません。

 安倍政権さえ倒せれば後はケンチャナヨ、なんてことを平気で言うド近眼な人たちに、日本の舵取りを任せられるわけがないじゃないですか。野党とその支持者のみなさんはしっかりしてください。

テーマ : 安倍政権
ジャンル : 政治・経済

「安倍ヤメロ」と「韓流ヤメロ」はどこが違うか

 今回の安保法案騒動では、サヨクメディアやサヨク学者のみなさんのSEALDs押しがすごかったですね。

 たとえば、以前わたしがツッコミを入れさせてもらったサヨク学者の西谷修先生も、ご自身のブログでしきりにSEALDsを持ち上げていました。

言論工房 Fushino_hito
2015/07/16 SEALDsの「民主主義ってなんだ?これだ!」
http://fushinohito.asablo.jp/blog/2015/07/16/7708683

 いまSEALDs(Students Emergency Action for Liberal Democracy -s:自由と民主主義のための学生緊急行動)という若者たちのグループが注目されている。

 今年の5月からSEALDsを名乗るようになったが、不意に出てきたわけではない。一昨年の秘密保護法の強行採決や去年の集団的自衛権容認の閣議決定などに、これはひどいことになると危機感をもち、学生有志でSASPL名で活動してきた(「秘密保護法に反対するがくせい有志の会」)。それがこの春、ヴァージョンアプ【原文ママ】して本格活動を始めたのだ。

 今までの政治運動とはまったく違って、どんな組織や思想潮流とも関係がない。自由な発想に立っている。だが、今の日本、とりわけ安倍政権が代表する日本の政治が、若い世代の「ふつうの生活」の土台そのものを巻き込んで、彼らの「未来」を奪い去ろうとしていることに、肌身で危機感を抱き、それを不当だと感じる者たちが集って、自分たちで新しい運動を始めようと立ち上がったのだ。

 その思いを集約したのが「民主主義って何だ?」という疑問だ。この国は民主主義のはずなのに、自分たちが主役のはずなのに、こんなことになっていいのか?いい加減の、カラクリだらけの選挙で議席さえ取れば、勝手に「国民」を巻き込んで何でも決めていいのか?馬鹿にするな!だったらここで「民主主義をやってやろうじゃないか! これが民主主義だ!」と。


 日本人は、妙に子供や若者を神聖視したがる傾向があります。
 若者は知識が乏しい反面、無垢だから本質的な正しさを見抜く感性を持っているに違いない、という幻想があるようです。
 長野県でも、自治体が大学と提携して大学生の実習を受け入れ、学生たちの「ぼくらが思いついた地域おこしアイデア」を役人たちがありがたがったりしています。

 SEALDsが登場する以前のサヨクデモは、政党や労働組合のオジサン、プロ市民系のオバサンが中心となったヒステリックで古臭いものというイメージがありました。そこにオシャレ(?)な若者たちのグループが突然登場したことで、行き詰まりを感じていた昭和世代が大喜びで御輿に担ぎあげたという流れでしょう。オークダーキはさしずめ天草四郎かジャンヌ・ダルクか。
 若者たちによるオシャレ(?)なサヨク運動というのは、特定秘密保護法反対運動が盛んだった時に信毎の記事にも取り上げられていましたが、いま思えばあれがSEALDsの前身だったのかもしれません。

 「政治に関心を持ってくれるとは、今時の若者も捨てたもんじゃないな」「デモこそ民主主義の本来の姿。戦争法は成立してしまったけれど、オレたちの戦いはこれからだ!」と、サヨクのみなさんは鼻息を荒くしています。

 「国会前のデモに12万人も集まった!」「世論調査では過半数の国民が戦争法案の強行採決に反対している!」…あっれえ、あなたがたついこの前までは「少数派の意見を尊重するのが民主主義だ」「多数決はただの多数決主義であって民主主義ではない」とか言ってませんでしたっけ。国会での多数決を批判する口で、世論調査で過半数を占めたことやデモに大人数を集めたことを誇示するのは矛盾してませんか。

 民意が国会にきちんと反映されないのが不満ならば、選挙制度に文句を言うべきであり、国会における多数決を「強行採決」などと呼んで批判するのはお門違いです。それとも何ですか、民主党や社民党は、自分たちが政権与党だったときの国会では多数決をしなかったんですか?
 自分たちが過半数なら正しい多数決、相手が過半数なら悪い多数決。そんなのばっか。
 まあ、人間なんて自分に都合のいいメガネでしか物事を見られない生き物かもしれませんけど。わたしも含めて。

 社会や政治に関心を持ったイマドキの若者が、既存の団体に縛られず、ソーシャルメディアなどでつながって自主的なデモ活動を行うようになったのは、SEALDsが最初ではないはずです。ここ数年来の流れでいえば、お台場で行われたフジテレビ嫌韓デモの方が画期的だったんじゃないですかね。

 お台場のデモは「韓流なんかウンザリだ」という素朴な主張でしたが、これがきっかけに嫌韓という価値観が市民権を得、やがて日韓外交にも大きく影響していったのですから、政治的な要素を多分に含んでいます。

お台場嫌韓デモ 国会前反安倍デモ
開催日2011年8月21日2015年8月30日
参加人数(主催者発表) 6,000人 120,000人
参加人数(警察発表) 5,300人 30,000人
参照:Wikipedia

当時の映像

お台場


国会議事堂前


 わたしは当然ながらどちらのデモにも参加していませんが、上記の情報から自分なりに感じた両者の違いをいくつか挙げてみたいと思います。

人数
 お台場デモの方が圧倒的に少数ですが、警察発表との差を比べると、お台場の主催者の方が圧倒的に"正直"であることがわかります。

シュプレヒコール
 お台場デモのシュプレヒコールは長文。後に続く参加者の掛け声は、ちょっとバラバラ感あり。
 国会前デモは鳴り物が入ってリズミカル、フレーズは「戦争反対」「安倍はやめろ」など短く単純。従来のサヨクデモと大差ない感じ。

プラカード
 お台場デモは素朴、手作り感にあふれる手書きが多い。
 国会前デモはカラフルで、印刷されたものやコピーされたもの、凝ったものが多い。

参加者の態度
 お台場デモは整然としており、主催者側もかなり気を使っている様子。
 国会前デモは騒々しく、一部で警察ともみ合い。

社会環境
 お台場デモが行われた2011年は韓流ブームの絶頂期。メディアは無視もしくは批判的に報道。民族差別のレッテルを貼られる。
 国会前デモは野党、団体、学者、メディアが全面的にバックアップ。SEALDsは国民世論の代表者扱い。


 こうやって見てみると、四面楚歌の中で声をあげた当時の「嫌韓厨」の皆さんは、勇気がありましたね。政党や学者、メディアからちやほやされているSEALDsと比べ、当時の嫌韓デモの方が不器用で手作りで、でもずっと切実感に溢れていたように感じます。

 ちなみに、先ほど紹介した西谷先生の文章は、ちょっと単語を入れ替えて「安倍政権」を「フジテレビ」、「民主主義」を「日本」などにするだけで、そっくりそのままお台場デモの紹介文になってしまいます。

 今までの政治運動とはまったく違って、どんな組織や思想潮流とも関係がない。自由な発想に立っている。だが、今の日本、とりわけ【フジテレビ】が代表する日本の【マスコミ】が、若い世代の「ふつうの生活」の土台そのものを巻き込んで、彼らの「【誇り】」を奪い去ろうとしていることに、肌身で危機感を抱き、それを不当だと感じる者たちが集って、自分たちで新しい運動を始めようと立ち上がったのだ。

 その思いを集約したのが「【どうして韓流押し】何だ?」という疑問だ。この国は【日本】のはずなのに、自分たちが主役のはずなのに、こんなことになっていいのか?いい加減の、【ステマ】だらけの【番組】【スポンサー料】さえ取れば、勝手に「国民」を巻き込んで何でも【放送】していいのか?馬鹿にするな!だったらここで「【愛国】主義をやってやろうじゃないか! これが【日本】だ!」と。


 デモというのはもともと反権力の武器です。お台場の嫌韓デモは、強大なマスメディアという権力に視聴者が抵抗するという構図がありました。強大な安倍政権に抵抗するSEALDsと、本質的には同じです。
 われわれネトウヨは、安保関連法に関しては政権を支持する立場ですから、今回はデモなんて面倒くさいことに力を入れずにすみました。政府与党が粛々と法案を通過させるのを見守るだけでした。
 一方、野党側もそれなりに手応えを得て調子づいたようで、あの共産党が民主党などに選挙協力を呼びかけるという、なかなか面白い動きを見せ始めています。

「共産、他党と選挙協力=安保法成立で方針転換」(時事ドットコム)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015091900247

「戦争法廃止で一致する政党・団体・個人が共同して国民連合政府をつくろう」(しんぶん赤旗
http://www.jcp.or.jp/web_policy/2015/09/20150919-yobikake.html

 こういうのもねえ…矛盾の塊ですよね。共産党って、これまでの選挙でずっと「民主党は自民党と同じ穴のムジナ」「日本にはたしかな野党が必要です」って叫び続けていたのに。
 万が一政権を取ってしまったら、今度は自分たちが「権力者」の立場になり、国民から監視され突き上げられる立場になるんですけど、アイデンティティは保てるんですかね?
 
 しんぶん赤旗の記事では、「戦争法廃止、安倍政権打倒のたたかいをさらに発展させよう」と訴えています。

私たちは、心から呼びかけます。憲法違反の戦争法を廃止し、日本の政治に立憲主義と民主主義をとりもどす、新たなたたかいをおこそうではありませんか。安倍政権打倒のたたかいをさらに発展させようではありませんか。


「戦い」ではなく「たたかい」とひらがな表記なのが気持ち悪い。平和を守れ、戦争を許すなと叫ぶ立場の自分たちが、「戦い」なんて好戦的な言葉を多用するのはいかがなものかという迷いがあるのでしょう。でも他に言葉が思いつかないから、せめてひらがなの柔らかいイメージでごまかそうというのでしょう。くだらねーの。

 万が一、サヨク勢力がふたたび政権をとった場合には、こんどはわれわれが抗議活動に精を出さねばならない立場になるのでしょう。
 今回の左右のデモ比較で得た教訓は、「デモはオシャレにやったほうがいい」ということです。
 シュプレヒコールの音頭はオッサンではなく若者もしくは女性が務めること。
 参加者はなるべくオシャレな服装を心がけること。
 行進の先頭の横断幕はイケメンや美女に持たせること。
 主催側のスポークスマンは、しゃべりがうまくてスマートな人が務めること。

 SEALDsには奥田愛基という看板がありますが、右派にはだれがいるでしょうか。桜井誠は論外として、古谷経衡?KAZUYA? うーん…、もう少し人材がほしいところですね。わたしが力になれなくて残念です。
最新記事
カテゴリ
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
アクセスカウンター