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にわかネトウヨが韓国の歴史教科書に学ぶ04【高麗時代】

 高麗時代といえば、日本にとっては元寇が忘れられません。いつも被害者意識ばかり言い立てる韓国が、他国を攻めたことをどう教科書で教えているのか興味伸身宙返りなわけですが、まずは急がずに高麗による後三国統一のところから見ていきましょう。

 後三国統一の意義は、高麗が単純に他の二国を押さえ、勝利を収めたということにあるのではない。これをきっかけに韓民族が完全に政治的、社会的、文化的に統合されたという点で大きな意義をもつ。(p95)

 われわれ日本人は、歴史の「民族的意義」なんてほとんど意識しません。歴史を学ぶ場合は、過去の出来事がなぜ起きたのか、それが後世にどう影響したかという客観的な「事実」を知ろうとします。が、韓国は違うようです。過去の歴史に誇りある意義を見つけようとする涙ぐましい努力が窺えます。
 教科書によると、高麗による半島統一は
  1. 建国の主役が地方勢力であったこと
  2. 高句麗、百済、新羅などの文化を融合して新しい民族文化の土台を築いたこと
 の二つに意義があるそうです。

 新羅の三国統一が民族統一の出発点だとすれば、高麗の後三国統一は【中略】渤海人まで含んだ、実質的な民族統一の完成だった。(p95)

 と誇らしげ。ホルホルというやつですね。
 でも逆にいえば、古代朝鮮は半島内が分裂してる状況が長い間あたりまえだったわけです。南北2国に分裂している現在は、「三国時代よりも1国分少ないんだからまだいいじゃん」という考え方もできそうですね~。

 高麗時代には科挙が取り入れられ儒教が浸透しました。中国から輸入したこの文化が、19世紀になると大きな足かせになるわけですが、当時にしてみれば合理的で最先端の制度・学問だったわけです。高麗は北方では契丹族や女真族と戦いながらも、彼らや宋と活発に交流し、現在に続く「コリア」の名が諸外国に定着しました。

 でも、建国してしばらくすると制度が硬直し腐敗するのは世の習いのようで。

 一部の役人と権勢家は国家から田柴科として与えられた土地を自分のものにしたり、高利貸しなどを通して一般民衆の土地を奪うなど経済的基盤を拡大していった。(p105)

 日本でいうところの地頭みたいなもんですな。
 王室と婚姻関係を結んだ外戚がはびこるのも東アジアでは毎度のこと。外戚の一人、李資謙が王位をおびやかしたり(1126)妙清とかいう坊さんが反乱を起こしたり(1135)。これらの反乱の背景には、低い待遇を強いられていた下層軍人たちの文臣たちに対する不満があったんだそうで、日本でいえば平安末期の武士の台頭を彷彿とさせます。で、ついに武臣が権力を握り、国王は飾り同然になってしまうという、このへんはまさに幕府ですな。
 この武臣たちも農民を虐げたために、各地ではさまざまな民衆蜂起が起きたそうです。
 ま、このへんはワンパターンで面白くない。

 13世紀に入ってモンゴルが勢力を増してきます。高麗は最初、モンゴルに追われて半島に押し寄せてきた契丹族を防ぐためにモンゴルと連合しますが、じきにモンゴルに攻めこまれます(1231年)。

 当時高麗は民衆と官軍が一つになって、モンゴル軍に対抗して戦った。特に、亀州城では朴犀の指揮下にモンゴル軍に対抗し、最後まで城を守った。(p113)

 などと、いかに朝鮮側が善戦したかを強調しています。

 崔氏政権は民心を集め、仏の力でモンゴル軍を退けるため、江華島で八万大蔵経の彫成事業を始めた。八万大蔵経版は対モンゴル闘争の産物であり、私たちが誇る世界文化遺産の一つである。(p114)

 そんなオマジナイしてる余裕があったら武器でも作りゃいいのに、とも思いますが、日本も大仏に国家安泰を祈願したり、外敵調伏の祈祷を密教坊主にやらせたりしてたわけですから、他人のことは言えませんね。

 崔氏政権は江華島に避難しながらも、モンゴル軍の侵入に苦しめられる民衆を無視したまま贅沢な生活をし、政権維持のために租税をさらにかけるなど、無理な政策をとって民心を失った。このようなときに最高権力者崔竩が殺され、崔氏政権は崩壊した。
 モンゴルに対する抗戦を主導してきた崔氏政権が崩れると、モンゴルとの講和が行われた。(p115)

 前のページではモンゴル軍に抵抗する崔氏政権を持ち上げていたのに、すぐドスンと落として「モンゴルとの講和」という流れに持ってくるのは、なかなか戦略的な書き方ですね。
 なんかひっかかるのでウィキ(日本版)のモンゴルの高麗侵攻の項を読んでみました。それによると、要するに高麗朝廷内ではモンゴルへの徹底抗戦を貫こうとする崔氏政権(=武臣)と、さっさと降伏してしまおうとする文臣派が対立しており、崔竩は文臣派に暗殺されてしまったというのが真相。このへんなんか、日本に付くか清に従うかで内紛した李氏朝鮮末期とそっくりです。
 教科書では「講和」と書かれていますが、ウィキによれば全面的な従属です。ごくろうさま。

 元は日本征伐をきっかけに高麗に設置した征東行省を通して、高麗の内政に干渉した。(p116)

 日本人としてはちょっと驚いたんですが、元寇について触れた記述はたったこれだけなんですよね。元と高麗が連合して二度にもわたって日本に攻め込んだくせに、そのことが何も書かれていません。まるで「元が勝手に日本を征伐(←この表現もなんだかね・・・)したんだぜ、おれら関係ねえし」とでも言いたげな、まるきり他人事って立場の書き方です。ここは少しむかついた。
 でも、日本の中学歴史教科書を見たら…元寇の部分では「フビライが攻めてきた」とはありますが、軍勢の中に高麗が加わっていたことは一言も書かれていません。日韓両国で整合性が取れていて結構なことですな。まあ、日本側は当時の高麗はもはや国家として存在していないという認識なのかもしれませんが。

 ウィキ日本語版の高麗の項には、

一方、『高麗史』には忠烈王が元に日本侵攻を働きかけたとの記述がある。忠烈王が自身の政治基盤強化のため、元軍を半島に留めさせ、その武力を後ろ盾とする目的であったと見られる。

 なんてことも書かれてます。同じく元寇の項を読むと、

 『高麗史』及び『元史』によれば、蒙人の高官は兵力不足を懸念して南宋攻略を先にすべきと主張したが、高麗の(のちの忠烈王の)執拗な要請があり、高麗を経由する東路からの日本への侵攻が決定されたとされる。

 忠烈王ひでえ・・・千年恨んでいいですか。
 高麗国の王子は、元に人質に出されます。元で育ち、教育を受け、モンゴル皇帝の王女を嫁さんにもらいます。ウィキによれば、高麗王子は元の宮廷で皇帝に仕え、ほとんどモンゴル貴族みたいになっていたそうです。

 高麗王を継ぐ段になって初めて母国にやってくるわけですが、新しい王様にとって母国の宮廷は知らない連中ばかりなので、人質時代に身の回りの世話をしてくれた身近な家臣を重用するようになります。そういう家臣連中=権門勢族が既得権益を握って幅を効かせるようになり、民衆を虐げて国家財政を圧迫します(ほんと、お決まりのパターンだな。なんか嘘くさいくらい)。
 こうした問題を解決するため、歴代の高麗王は政治・経済制度を改革しようとしますがことごとく失敗に終わります。

 これは高麗の国王が元の操縦や干渉を受けていたので、改革を徹底的に行えなかったからだった。政治勢力がしばしば変わり、改革推進勢力が弱体だったことも、改革が成功しなかったもう一つの原因だった。(p117)

 腐敗していた高麗の家臣たちは悪いけど、改革できなかったのは元のせい、という論法です。この教科書の特徴の一つが、「都合の悪いことはなるべく外国のせいにする」ということです。それが近代史になると露骨になるのですが、まあそれはのちほどまた。

 この時代、元を通じて儒教の一派である性理学(日本では朱子学が有名)が入ってきます。この性理学なるものも、朝鮮史ではかなり重要なキーワードのようですが、これは次回に。
 
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にわかネトウヨが韓国の歴史教科書に学ぶ03【三国時代】

 続いて新羅、百済、高句麗の三国時代になります。
 このへんの記述はずいぶん勇ましく、誇らしげです。
 
 高句麗の全盛時代、人々は自ら高句麗が天下の中心だとする自負心を持っていた。(p50)
 
 5世紀末に高句麗は韓半島の中部地方と遼東を含む満州の地を占有して、東北アジアの強大国として威勢をとどろかせた。(p51)

 日本の教科書では、大和政権が任那に勢力を持っていたり、百済と連合して新羅や高句麗と戦ったり、朝鮮南部の支配権を認めてもらおうと中国に使者をやったりしたことが書かれているわけですが、韓国の教科書はこの時代の日本との関わりについての記述は意外とあっさりしています。

 百済は中国の東晋、伽耶、倭と外交関係を結んで高句麗を牽制した。これを基盤に、百済は黄海を渡って、中国の遼西・山東地方と日本の九州地方に進出して、活動舞台を海外に広げた。(p38-39)

 世界史における「進出」って言葉は、「侵略」「征服」をオブラートにくるんだ表現というイメージがあるんですが、あんまり日本側にはこの時期朝鮮から攻めこまれたって印象はないですね。
 白村江の戦い(663年)で敗れた天智天皇が、唐・新羅連合軍の侵攻を恐れて各地に山城を築いたって話は聞きますけど。
 ここでいう「進出」は物騒な意味じゃないんでしょうかね。

 また、伽耶の一部勢力が日本に進出し、日本の古代文化発展に貢献した。(p44)

 ここでは両国の認識の違いがハッキリ見えていて面白いですね。
 日本側は、大和朝廷が任那(伽耶)を支配していたんだというし、韓国側は任那が日本の文化を発展させてやったんだというし。

 新羅は唐の力を借りて高句麗も滅ぼします(668年)が、今度は新羅と唐の戦いになります。新羅が唐軍を追い出し半島統一を成し遂げたのが676年。

 新羅の三国統一は、その過程で中国勢力である唐の助けを得たという点と、大同江【引用者注:平壌付近を流れる川】以南の地域に限定されたという点に限界があるが、私たちの歴史上大きな意味を持つ事件だった。それはたとえ不完全ではあっても、わが民族がなし遂げた最初の統一であり、新しい民族文化をつくり上げる重要なきっかけとなった。特に、新羅が領土的野心をもった唐を退け、統一を完遂したという事実は、新羅人の自主的性格を示している。(p65)

 ここんところは、国家が南北に分断されている現在の状況を意識しているんでしょう。「わが民族の自主的性格」というフレーズは、この後も何度か登場します。
 わたしたち日本人は、「日本民族の自主的性格」なんてほとんど意識したことがありません。韓国人が「自主的性格」にこだわるのは、彼らには「自主性」が持てなかった時期が長かったことの裏返しでしょう。
 たしかに、朝鮮半島の最初の統一が中国の力を借りたものだったという事実は、その後の朝鮮史を眺めると象徴的です。
 教科書は、今度こそ他国の力を借りずに半島を統一するぞ! という心意気をここに込めようとしているわけですね。

 教科書は、新羅の時代にさまざまな制度が整えられ、文化や交易が活発になったことを詳しく書いています。

 統一後繁栄を続けていた新羅は、8世紀後半から貴族の権力争いに巻き込まれるようになった。(p81)

 新羅には骨品(コルプム)制という身分制度がありました。王族は「聖骨」、その他の有力者は「真骨」といったように、部族長たちを貴族としてランク付けして、国家の重要事項は上級貴族の代表が集まった会議で決めたりしてたそうです。なかなかシステマチックではありませんか。
 けれどそれが機能していたのは最初だけ。

 少数の真骨貴族に権力が集中し、王と貴族の間で、そして貴族同士でしばしば争いが起きた。貴族は農場を増やし、自分の軍隊を組織して互いに争ったが、国家はこれを統制できなかった。(P81)

 時は8世紀末。貴族が権力争いして王をないがしろにするさまは日本の平安時代を彷彿とさせますが、さすが新羅は制度の腐敗も日本より先を行ってます。

 このような権力争いは恵恭王のときに始まった。【中略】以後新羅では王位争いが激しくなり、150年あまりの間に20人の王が変わる大きな混乱が起きて王権が非常に弱まった。(p81)

 中央の王位争いに連動して地方でも反乱が多発。中央貴族が腐敗して国力が衰える一方で地方の軍人などが力をたくわえ、「後百済」「後高句麗」ができて新羅と合わせた「後三国時代」になります。このうち、後高句麗は王建が即位して918年に高麗と名を変え、936年に半島を統一します。

 では、次回は高麗時代についてです。

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にわかネトウヨが韓国の歴史教科書に学ぶ02【壇君から衛満朝鮮へ】

 では実際に、国定国史教科書を読んでいきましょう。
 まずは檀君神話の部分。…あ、今回は自分の気になったところ、理解が及んだところだけをピックアップしていきますのでよろしく。

 檀君の古朝鮮建国はわが国の歴史がとても古いことを物語る。また、檀君の建国の事実と「弘益人間」の建国理念は、以後、わが民族が困難にあうたびに自負心を呼び覚ます原動力になった。(p20)

 檀君という人名?がいきなり登場するので、知識のない日本人読者は面食らいます。それだけ檀君の名は韓国人にとって「知ってて当たり前」のものなんでしょう。
 このページでは、「読み物資料」のカコミ記事で『三国遺事』に記された檀君神話について紹介しています。
 どういう神話かというと…

 昔、桓因(ファンイン)の息子桓雄(ファヌン)は、従者3000人を率いて天から太白山【=白頭山】頂に降り、風、雨、雲を治める長老を任命して人間を治めた。そこへ熊と虎が現れ、桓雄に「わたしたちを人間にしてください」と頼んだ。桓雄はヨモギとニンニクを与え、「これを食べて洞窟にこもり、100日間光を見なければ人間になれるだろう」と言った。
熊は頑張って人間の女になれたが、虎は我慢できずに失敗した。熊女は桓雄と結ばれ、生まれた子どもを檀君王倹(タングンワンゴム)と名付けた。

 …このお話のどこに「歴史」があるんだか、わたしにはさっぱり分かりません。まあ朝鮮人(←これは蔑称のつもりはありません。念のため)のニンニク好きとお日様嫌いは根が深い、というのはよく分かりますけどw

 虎と熊が登場することから、先史時代に形成されていた特定の動物を崇拝する信仰の要素が反映されていることがわかる。また、雨、風、雲をつかさどる人たちがいたということからは、わが民族の最初の国家が農耕社会を背景として成立したということも推しはかれる。(p20)

 なるほどね、民族学的な解釈ですか。でも、この檀君という人(神?)がどんな人物だったのか、何をしたのか、檀君朝鮮という国ははいつどこに建国されたのか、そういうことがどこにも書かれていません。そういうの書かなくちゃ歴史教科書で取り上げる意味がないでしょうに。

 ウィキ(日本語版)によれば、檀君朝鮮は紀元前2333年に建国し、都を白頭山から平壌に移して朝鮮と号したそうです。韓国が「わが国の歴史は半万年」と自慢するのはそこから来てるんですね。桓因は天の神様で帝釈天の別名でもあるとか。
 三国遺事は13世紀末に高麗の一然という僧侶が個人的に記したもので、帝釈天なんて仏教の神様が紛れ込んでる背景にはそういう理由があるわけです。

 檀君神話に無理やり民族学的な意義を見出そうとするくらいなら、ツングース系民族との関連性を記述したほうがよほど学問的だと思うのですが、祖先が北方の狩猟民族だとするのは何か都合が悪いんですかね? 「わが民族の最初の国家が農耕社会を背景として成立したということも推しはかれる」ってくだりからすると、農耕民族>>狩猟民族、みたいな価値観もニオイますけど、まあこれは邪推かも。

 文献に現れる古朝鮮は檀君朝鮮―箕子朝鮮―衛満朝鮮と政治的変化をたどる。(P21)

 とコラムには書かれていますが、どういうわけか教科書本文では「箕子朝鮮」の名が一回も出て来ません。

 紀元前2世紀頃、西方地方で勢力を養った衛満が準王を追い出し、小朝鮮の王となった(紀元前194年)。(P21)

 いきなり準王という人名が出てきて「それって誰?」と混乱してしまうのですが、この準王が箕子朝鮮の最後の王様なんですね。
 衛満については、「燕の地域からやってきた」「古朝鮮の西方を守っていた」「子孫の右渠王は漢の大軍と戦って一年間よく耐えた」とか詳しく書いてあるのに、箕子朝鮮については完全にスルー。

 なんでなのかなーとウィキ(日本語版)をみてみると、謎が解けるんですね、これがまた。
 『史記』によれば、箕子は中国の殷朝第28代帝の息子で、殷が周に滅ぼされた後に朝鮮王に封じられたのだそうです。

朝鮮侯箕子は殷の遺民を率いて東方へ赴き、礼儀や農事・養蚕・機織の技術を広め、また「犯禁八条」を実施して民を教化したので、理想的な社会が保たれたという。ウィキ「箕子朝鮮」の項

 朝鮮で儒教が盛んだったころは、朝鮮人たちも貴種である箕子を「朝鮮族の祖」として熱烈に敬っていたのですが、現代の韓国人にとっては自分たちの先祖が中国人であるとなると、民族のプライドが許さないんですね。
 現在の韓国の学会では、箕子の存在は後世の創作として否定しているのだとか。
 帝釈天の息子が天から降りてきただの、熊さんが穴ごもりして女に変身して神様の子を生んだだのいう檀君神話は無理矢理でも信じようとするくせに、中国最高の歴史書に記された箕子の存在は否定する。韓国の歴史学者さんたちって、不思議です。

 でも、衛満だって中国の燕からやってきた人なわけです。つまり古朝鮮はぜんぶ、素朴な神話と中国侵略によって作られていると言っても過言じゃないわけで。朝鮮人が檀君の実在を夢想したがる気持ちもわからんではないですね。
 韓国の学者の中には「黄河文明を作ったのは韓民族だ」と主張する人がいますが、主客をわざと逆転させる発想なんでしょう。


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にわかネトウヨが韓国の歴史教科書に学ぶ01【はじめに】

試みの理由と姿勢


 じつはわたし、高校時代は中国の近代史を習って「毛沢東ってかっこいい」とかけっこう本気で思っていました。思えばあの世界史教師はかなり左よりだったかもしれません。つい最近までは、南京大虐殺や従軍慰安婦は「隣国が謝れっつってんだから素直に謝ればいいじゃん」とか正直思ってました。
 でもロンドン五輪の独島プラカードや中国の反日デモをきっかけに、いまではすっかり嫌中・嫌韓に染まってしまいました。いともあっさり。子供の頃からずっと購読していた県民紙がネットでは「誤惨家」なるものの一角に挙げられていることも、ようやく知りました。
 嫌いなもの、不愉快なものを見つけると、相手を研究分析したくなるのがわたしのクセで、だったら悪名高い韓国の国定教科書というものをためしに真面目に読んでみよう、と思い立ったわけです。
 わたしは大学受験で世界史を選択しましたが、朝鮮史なんてほとんど知りません。日本史にも疎いので、明治維新から第二次世界大戦までの日本のやったことも、じつはあんまりよく分かっていません。
 これを機会に、勉強するのも悪くないなと思ったわけです。
 読んでみた結果としては、かなり面白かったですね。とくに近代史。
 日本のどんな残虐行為が書かれているのかと思ったら、ほとんどない。むしろ、いかに日本が朝鮮半島の近代化に貢献したのかがとてもよく分かりました。ただし、その書き方がものすごくひねくれてるんですけどね。

 わたしの中学時代、歴史教科書に載ってた近代における日本と朝鮮の関係なんて、ほんの微々たるもんでした。

 思い立って物置から当時の教科書(東京書籍『新編 新しい社会(歴史)』1987←歳がバレる)を引っ張りだしてめくってみましたが、

・西郷隆盛らが征韓論を唱えた
・日本が朝鮮に対して不平等条約を結ばせた
・朝鮮を取り合って日清戦争、日露戦争を戦った
・韓国の抵抗運動を鎮圧して併合・植民地にした
・日本が行った土地調査事業で朝鮮農民の多くが土地を奪われ、小作人になったり移民を余儀なくされた
・彼らは移住先でも差別を受け、同化教育を強いられた
・いっぽう日本人には朝鮮人を蔑む意識が強まった
・1919年3月1日にソウルで三・一運動が起こった

 書かれているのはこの程度。基本、日本が朝鮮半島にもたらした近代化のキの字も出て来ません。

 一方で、韓国側からしてみると、自国の近代化を記述する場合はどうしても日本の影響について触れざるを得ず、日本がもたらした功績を反日の文脈のなかでどう説明するか、そのへんの葛藤(というか悪あがき)が垣間見えてとても面白いわけです。

 今回読もうと思うのは、

三橋広夫訳 『世界の教科書シリーズ13 韓国の中学校歴史教科書―中学校国定国史』 2005年 明石書店(アマゾン

です。現在のわたしは感情的には嫌韓寄りですが、今回はなるべく客観的な立場で読み進めていきたいと思います。まあ努力目標程度かもしれませんが。
 読み進めるうちに、分からない用語や気になるキーワードに出くわした場合は、ネット検索しながら理解していこうと思います。主にはウィキペディアが中心になるでしょう。ウィキには間違った記述も多いそうですが、わたしみたいな素人がそんなこと気にしていても仕方ありません。でも、場合によってはハングル版ウィキなんかも参照していきたいと思います。
 わたしはハングルが読めませんが、朝鮮語の場合はブラウザなどの自動翻訳機能がけっこう役に立つのがありがたいです。

 ちなみに、韓国の歴史教科書に対してツッコミを入れているサイトには

韓国の歴史教科書を読む

 があります。
 同じ三橋氏の訳の中学国定国史教科書(2008年版)をベースに、韓国の歴史教科書の「偏り」について、かなり具体的に問題点を指摘しています。
 そこでは、脱民族主義の学者らが作った「代案教科書・韓国近現代史」についても触れています。「代案教科書」は、日本人の価値観からすると、国定教科書よりもだいぶ「マトモ」な思想のようです。

 ただし、今回読む国定教科書の訳者である三橋先生はこの代案教科書を批判しており、逆にかなり民族主義的なニオイの『躍動する韓国の歴史』(全国歴史教師の会編)を推してるようです
 そういう訳者の価値観が、この教科書の翻訳に影響を与えているかどうかは知るよしもありませんが。

 では連載(笑)第2回では、韓国の古代史について読んでいきましょう。 

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神頼みのDNA

 桜島の噴火を韓国人が大喜びしているとのこと。【クッキーニュース(韓国語)】

 韓国メディアのネット記事に寄せられたコメントは、
「これは心あたたまる記事」
「あの火山灰がみんな安倍の口の中に入ればいいのに」
「祝爆発」
「もっと大きく爆発しろよ」
「これからもっと楽しくなるぞ」
「君の悲しみは私の喜び」
「日本は迷惑王だ。放射能に火山灰に…」
「地球で最も汚い国」
 などなど、嘲笑冷笑であふれたそうな。
 ソウル大の心理学教授が「最近では日帝強制占領期間を体験しなかった青年層の方が、壮年層よりも反日感情が激しい印象。こうした傾向が今後改善されていくのか疑問に感じるほど」などと論評しているそうです。

 まあ、国家的には「狙い通り」ってことですよね。

 嫌韓宣言などで紹介されてる韓国人たちの物言いを見ていると、今回に限らず日本への大災厄を期待する声が多いことを実感します。
 参院選で自民が大勝した時も、
「台風がくる季節だね。列島を一度吹き飛ばせ…強い台風が列島をなぎはらって….今年の冬には富士山が爆発して…地震9.0以上のが数回起きて…あ、掃除もしなくちゃ…500mの津波で一掃して…それできれいに解決する…今年一度でいいから、炸裂しろ!」
 と必死に祈っている韓国人がいらっしゃいました。
http://blog.livedoor.jp/oboega/archives/30771105.html

 嫌いな相手の不幸を願う気持ちはわからんでもないです。
 「殺してやる」よりも「死ねばいいのに」の方が穏当だし、責任を負わなくていいので気楽です。
 ただ、こういう他力本願・神頼み的な韓国人の発言は彼らの国民性の表れのような気もします。
 父なる神にすべてを委ねるキリスト教が韓国に広く定着しているのも、彼らの依存心を満たしてくれるからかもしれません。

 なにせ大手メディアも「原爆は神罰」などと発言してはばからない。
 国内問題で不満があるとすぐにホワイトハウスの陳情サイトに訴える。
 慰安婦問題の抗議も日本でやらずアメリカでやる。
 大統領も、アメリカや中国の首脳へ必死に反日協力を呼びかける。
 産業技術も文化コンテンツもよその国の真似ばかり。

 すぐに他人に頼りたがる。自分はワアワア騒ぐだけで何もしない。ていうか何もできない。
 思えば日本に併合されるまでの朝鮮近代史は、まさに他力本願と自滅の繰り返しでした。
 列強の魔の手が迫るなか、国内が一致して激動の時代を乗り越えなければならないのに、為政者たちは血で血を洗う抗争ばかり。自分たちで手に負えなくなると他国を頼り、その国に牛耳られると別の国に擦り寄って対立を煽り、結果的に戦火を招く。そしてますます国力と自主性を失っていく。ある意味自業自得なのに、「我が国土を踏みにじられた」と被害者意識ばかりふくらませる。

 そして現代。戦後ながらく米国の子分、日本の弟分としての立場をわきまえていた韓国ですが、中国の力が強まってから急にソワソワし始めました。
 今後は米中という巨大な国家の間でさぞかし巧みなバランス外交(笑)を展開するつもりなのでしょう。戦前は哀れな「国モドキ」だった韓国も、いまでは立派な先進国。自国の責任で主体性のある行動を取れるのか、それともあいかわらず他国頼みの無責任外交を続けるのか。
 まあ、日本は韓国をどうこうしようという野心なんてきれいさっぱり忘れましたからね。噴火とか地震とか異常気象とか放射能とか、神から次々と与えられる試練を一つずつ乗り越えるのに精一杯なので、お隣の国の活躍については静かに見守るほかありません。

 ただし、調子に乗ってへんなちょっかいを出してきたら容赦しない、たとえ米国に「おうジャパン、コリアの面倒見たれや」と振られても拒否できる…そういう力強く健全な内向き外交を、これからの日本には期待したいところです。

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半島からの北風

 8月15日になると騒ぐ韓国人、というのは完全に風物詩ですね。ほんと、彼らは同じことしか言わない。対する日本政府も同じ言葉を繰り返してやりすごしてます。つくづく虚しい関係ですw
 韓国が躍起になればなるほど、日本人は飽きてくる。最初は彼らの言葉を気にしていても、彼らに譲歩してもあまり利益がないこと、譲歩しなくてもさほど実害がないことを知ってしまえば、「ただ目障りな連中」でしかない。
 安倍政権はチクチクと韓国をつついて怒らせることで、日本国民に韓国人の火病に慣れさせようとしているような気がします。

 「北風と太陽」状態に直面した韓国は、ますます行動をエスカレートさせるでしょう。次はどんな馬鹿げたイチャモンをつけてくるのか、韓国ウォッチャーたちの興味はそれだけです。
 日本は面倒な隣人に恵まれてしまったことを運命と諦めて、彼らを反面教師として自身の襟を正し、ネガキャンに押しつぶされないよう前向きに国際貢献していくしかないですね。

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尖閣問題――中国側の主張を検証する

中国側の主張

 中国の主張は以下の通りです。
(要約元:中国大使館

  1. 釣魚島を中国人が先に発見し利用してきたのは古文書などから見ても明らかだ。釣魚島の先、久米島からが琉球であると記した地誌もあり、江戸時代の日本人学者(林子平)なども釣魚島が中国側に属すると認めている。

  2. 明治政府は日清戦争で勝つことが明らかになったタイミングでこれらの島を沖縄県に編入した。これは不法な窃取である。

  3. カイロ宣言では、「満州、台湾、澎湖島など日本が清から盗みとった地域を中華民国に返還せよ」と日本に要求している。上記2により、釣魚島も返還対象に含まれる。

  4. ポツダム宣言では、「日本はカイロ宣言の条項を履行しなければならない」「日本の主権は本州四国九州北海道および連合国が決定する島々に限る」としており、日本はこれを受諾した。

  5. 米国は釣魚島を含む沖縄を信託統治し、のちにこれを「返還」したが、その根拠となったサンフランシスコ平和条約に中華人民共和国は参加しておらず、この平和条約および米国の行いは不法かつ無効である。


 この論とほぼ同じ主張をしているのが孫崎享氏。
「連合国(というか米国)が尖閣諸島の主権について明確な判断をしていない以上、尖閣諸島に日本の主権があるかどうかは明確でない。だから中国側の要求を受け入れて『棚上げ』するしかないだろう」
――というような論旨です。(要約元
 素朴な印象としては、戦後68年も経っていまごろカイロ宣言とかポツダム宣言とか、なにゆってんの。あんたらバカあ? ・・・と言いたくなりますが、頭ごなしに罵倒しても意味がないので、素人なりに検証(実質的には反論)してみましょう。まあほとんどはウィキペディアとかからの受け売りですけど。

わたしなりの反論


1について――古文書とかそういうものにどれほど意味があるのか?


 国の領土なんてものは、時代ごとに変化するのが当たり前です。とくに人が住んでいない無人島ならなおさらでしょう(そういう意味では孫崎氏が言うように、日本もよく使う「我が国固有の領土」という表現はあまり中身がありません)。
 そもそも、台湾自体が明代以前は「琉球」と呼ばれて沖縄と区別されていませんでした。となると台湾が歴史的にみて「中国固有の領土」なのかどうかは議論の余地があります。いまですら実質別の国なのに。
 清代に入っても、たとえば宮古島島民が台湾で原住民に殺された際、清は日本に対して「化外の地だから知らねえよ」と言い逃れしています(牡丹社事件、1871)。
 台湾すらこの有り様なのですから、その先の絶海の無人島なんか話になりません。尖閣諸島は昔から無人島だったのですから、琉球王朝がそれを自国の領土と認識していなかったのも無理はありません。だからといってそのまま清の領土になるわけでもない。はっきりいって「どっちもどっち」です。
 問題は、現在の領有が近代法や国際常識に照らしあわせて妥当なものかどうかです。

2について――日本が清から尖閣諸島を奪ったという主張は妥当なのか?


・日本政府は、尖閣諸島を沖縄県に正式に編入(1895)するよりもずっと前から同諸島を調査しており、古文書の記述はともかくその当時中国人がその島を利用していなかったことを確認していました。
 古賀辰四郎に代表されるように、尖閣諸島を本格的に開拓しようとしたのは日本側が先です。これは日清戦争よりも10年近くも前からでした。
 日本のこうした動きは清側にも伝わっていた(「申報」1885年9月6日記事)のに、清国政府は何の対応もしませんでした。当時は清の軍事力が日本を圧倒していた時期だったにもかかわらず、です。
 武力を用いたわけでもなく、隣国から異論が出たわけでもない編入を「侵略」「窃取」と呼ぶのは無理があるような気がします。

・日本が尖閣編入にあたり、日清戦争の戦況を見ながら慎重にタイミングを図ったのは確かでしょう。ここは日本にとって最大のネックです。でも逆に、当時の日本はそれほど弱い国だったとも言えます。古賀の請求を受けて日本政府が尖閣諸島を調査している間、清軍はたびたび日本を威嚇していました。長崎事件(1886)では清の北洋艦隊が長崎に上陸して狼藉を繰り返し、朝鮮でも日本が支援する甲申政変(1884)が清に潰され日本人が殺されるなどしていたのです。
 当時の清は日本に劣らず「軍国主義」的でした。日清戦争で日本が勝った時、世界は「弱小日本が眠れる獅子を打ち負かした」と驚くほどでした。
 そうした状況下で、日本が尖閣編入の時期に慎重になるのは当然です。正当な編入であっても、それがきっかけになって戦争が早期に勃発しようものなら、日本は清に敗れるおそれもあったのですから。
 まあ要するに「どっちもどっち」だったわけです。

3、4について――カイロ宣言やポツダム宣言をどう解釈すべきか?


 ひとつことわっておくと、カイロ宣言は連合国側の対日行動方針であり、国際条約とかそういうものではありません。ポツダム宣言はカイロ宣言の履行を日本に求めましたが、両宣言では台湾や澎湖島を除き、具体的にどの島を日本が手放すべきかは定義していません。そして中華人民共和国は両宣言に関わっておらず、日本の主権が及ぶ範囲を勝手に決める権限がありません。どうしても尖閣諸島が欲しければ、領有権を認めてくれと米英に土下座するのが筋でしょう。
 しかし中国には気の毒なことに、サンフランシスコ平和条約に基づいて尖閣は沖縄の一部としてアメリカの委任統治下に入り、その後日本に返還されました。これにより、ポツダム宣言のいうところの連合国側の判断は下されたと考えるのが常識的です。

5について――サンフランシスコ平和条約と、それに基づく米国の沖縄統治は不当なものなのか?


  • 同条約を否定することは、戦後の国際秩序の根幹を否定することです。敗戦国日本は同条約を遵守する義務を負っており、これを否定する中国の主張とは根本的に相容れません。

  • 尖閣諸島を含む沖縄を日本に返還したのは米国です。文句があるなら米国に言ってほしいものです。

  • 終戦から1970年前後までの20年以上にわたり、中国は尖閣の領有権を主張してきませんでした。人民日報の紙面(1953)や公的機関の地図(1965)には、尖閣が日本に属することが明記されています。このように中国共産党は尖閣諸島が日本の沖縄県に属することを公式に認めていたのです。


まとめ1――中国の弱点


 こうしてみると、中国側の主張の弱点は

(1)釣魚島領有の正当性を主張するには、サンフランシスコ平和条約の不当性を国際社会に認めさせなければならない
(2)1970年ごろまで領有権の主張をしてこなかったばかりか、尖閣が沖縄に所属することを認めていた

 この2点に集約されるような気がします。
 中国も孫崎氏も、ポツダム宣言やカイロ宣言は重視するのにサンフランシスコ平和条約を無視もしくは否定しています。
 中国はもともとそういう立場だから仕方ありませんが、外交官も務めた日本人がこの条約を否定・無視するのはいい度胸だと思います。結局はアンチアメリカ精神が言わせているのでしょうけど。
 たしかに、そもそもの原因は米国の曖昧な態度です。「施政権は日本に返還するが、主権の帰属については関知しない」なんて、正直「何言ってるかちょっと意味分かんない」って感じです。そしていまごろになって「東アジア情勢の不安定さが懸念材料だ」と他人事のようなセリフをどの口が言うんだと。

 「固有」の領土なんてものはない、という孫崎氏の指摘にはわたしも同意します。どの土地がどの国に所属するかなんて、時代によってコロコロ変わります。結局はそれが国際社会に認められているかどうかです。
 日本が台湾や朝鮮を領有したとき、国際社会はそれを認めていました。日本がそれを手放さなければならなくなったのは戦争に負けたからです。ぶっちゃければルーズベルトと蒋介石の取引の結果であり、不当とか妥当とかそんな倫理的な問題とは関係ありません。日本は負けたから戦勝国の要求に応じる、ただそれだけです。戦勝国でない相手の言いなりになる筋合いはありません。
 日本が尖閣を守り続けるには、不断の努力が欠かせません。それには、他国を説得できるだけの論理力と、万一の場合に敵対国を退けられるだけの防衛力が必要になります。

 孫崎氏は「尖閣問題を棚上げしろ」と主張していますが、「棚上げ」の意味がわたしにはイマイチよくわかりません。何をどうすることが棚上げなんでしょうか?
 現状を維持しろというのなら、日本のスタンスは以前から変わっていません。島に人を住まわせたり建造物を建てたりしているわけではありませんし。
 それに対して中国側は、日本が尖閣を国有化したのを機に強行的な態度に転じ、領空侵犯・領海侵犯を常態化させるようになりました。日本の海上保安庁が必死で抵抗しなければ、現状維持すらおぼつかないのが現状です。

まとめ2――中国を「悪者」にするために


 今後、日本はどうするべきでしょうか。
 一つには、中国の尖閣領有権の主張はサンフランシスコ平和条約の否定であり、戦後の秩序を破壊しようとするものだ、という訴えをアメリカをメーンターゲットとした国際社会に訴えてみてはどうでしょうか。
 中国は日本が軍国主義化しようとしているとことさら強調し、国連の敵国条項をちらつかせて日本を悪者に仕立てあげようとしています。しかし尖閣を日本に返還したのは米国の判断であり、現在尖閣で挑発的な行動を取っているのは中国であり、何より軍事力を膨張させているのが中国側であることはどの国の目から見ても明らかです。
 日本としては、米国の無責任な態度を放っておくわけにはいきません。戦後の国際秩序を乱す中国と、それに抵抗する平和主義国日本という構図を確立させ、米国が日本に協力せざるを得ない環境を整える必要があります。

 中国にしてみれば、尖閣問題は両刃の剣のようなものでしょう。人民の民族意識を鼓舞してガス抜きするにはもってこいだし、軍拡の大義名分に利用することはできますが、実際に紛争になったりしたら国内経済に響きかねません。
 中国経済が傾いたら人民の不満が爆発して中共の命取りになるでしょう。それに米国が中国を重視するのは市場として利用価値があるからであって、中国の経済が弱体化してただの不安定な軍事独裁国家になり下がったら、国益重視の米国は完全に日本側につくでしょう。中国への配慮が不要になったアメリカが「尖閣諸島における日本の主権を認める」と明言すれば、カイロ・ポツダム宣言を領有権主張の根拠とする中国側はどう反論できるでしょうか。

 何はともあれ、尖閣で不測の事態が勃発した場合、日本に求められるのは
(1)中国を撃退できるだけの実行力
(2)国際社会の理解を得られるだけの信頼
 の二つです。
 そのためには、中韓の展開するネガティブキャンペーンを丁寧につぶし、防衛力をきちんと整えながら、国際社会に平和的に貢献していかなければなりません。とくに、米国、ロシア、台湾、東南アジアなどの周辺国をしっかり味方につけておくことです。
 なお、韓国はどうせ中国の属国同然になるだろうから無視しても可。

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わたしが韓国嫌いになったわけ

フリーライターの宮島理さんという人がブログでこんなことを言っていました。

リベラルな日本人と韓国の大誤算
【以下要約】 

いままでの韓国政府の反日は作法があった。日本を非難するが手加減も心得ており、攻撃対象を一部の極右に限定していた。日本全体を怒らせないように配慮しながら、巧みに韓国国内での支持率向上に利用してきた。例えれば、ピンポンダッシュして家の外から「おまえのかーちゃんデベソ」と叫ぶ程度のものだった。
 けれど李明博は日本育ちの親日派だったために、反日の作法を理解していなかった。2012年、レームダック対策として反日という伝統の技を使おうとしたものの、玄関のドアを開けて面と向かって悪口を言ってしまった。ピンポンダッシュだけなら苦笑いで済ませていた日本側も、こうなっては怒るしかない。
 政権が交代した韓国側も、もはやピンポンダッシュなどという「遊び」を捨て、日本を徹底的に叩いて隷属化しようとする方針に切り替えた。 この結果、日本ではこれまで親韓的だったリベラル層が急速に嫌韓に転じている。こうした現状を「日本の右傾化」としか表現できない韓国や、いまだに「日韓友好」を唱えている日本のメディアは、ことの重大さに気づいていない。裏切られて嫌韓に転じた日本のリベラル派は、韓国にとって厄介な敵になるだろう。

 李明博によって嫌韓意識に目覚めさせられたリベラル派というのは、わたし自身がそうですね。
 なにしろ「誤惨家」のひとつ信濃毎日を読んで育ち、これまでの選挙で自民党に投票したことは一度もないというありさま。つい最近まで、
「慰安婦問題? よその国が謝れって言ってんだから謝ればいいじゃん。それで仲良くなれるなら安いものじゃん」
「竹島? 尖閣? どこそれ。どうせ無人島でしょ? 半分こすればいいじゃん」
 みたいに思ってました。

 ところが去年の8月に五輪で独島プラカード問題、李明博の竹島上陸、続いて「天皇は土下座せよ」発言、さらに翌月には中国で反日デモ。あの畳み掛けは強烈でした。わたしは「この人たちはどうしてこんなに日本を嫌っているんだ?」と気分がざわつき、中韓関係のサイトを巡るうちに気がつけばすっかりネトウヨに、という流れでした。
 いま思えば、李明博よりも朴鍾佑のドヤ顔が決定的に不愉快でしたね。

 今後、わたしの反中・反韓意識が解消されることはあるのでしょうか。
 中韓の反日政策、とくに反日教育が無くならない限りわたしの特亜観が変わることはないでしょう。たとえ韓流ブームが再燃しても、韓国人が地下鉄で英雄的な死に方をしても、「それはそれ、これはこれ」でしょうね。

 はやく第二次朝鮮戦争が勃発して、韓国人は反日なんかしてるひまがなくなればいいのに。
 中国は共産党が崩壊して五胡十六国時代になればいいのに。と、夢想する今日このごろです。

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横断幕までブーメラン

 東アジア大会で韓国応援団が掲げた横断幕の「歴史を忘れた民族に未来はない」という文章は、日本統治時代の申采浩という人の言葉だそうで。
 この人は中国に亡命して朝鮮独立運動にたずさわるかたわら、朝鮮古代史を研究した歴史家でもあったとか。無政府主義者で、日本の官庁を爆破するための爆弾工場を作ろうとしたこともあったそうです。朝鮮総督府に逮捕されて57歳で獄死しました(以上、ハングル版ウィキペディアより)。
 こういう生きざま、韓国人が喜びそうな典型的なヒーロー像ですね。
 産経新聞ソウル駐在の黒田さんがこんなことを指摘しています。

 彼が生きた時代は主に日本統治時代だが、いずれにしろこの文句は本来、韓国人自らに向けた戒めと激励のためであって、日本に向けたものではない。その意味は現時点でいえば、「日本に侵略され支配された歴史を忘れず、再びそういう悲劇を招かないようがんばろう」ということになる。ところが今や支配された方(韓国)が支配した方(日本)にしきりに「歴史を忘れるな」と言っている。

 この横断幕がハングルで書かれていたのはとても興味深いことです。
 日本への政治批判だとしたら、一般の日本人に伝わるはずもないので彼らの行為は臆病な自己満足でしかありません。もしかしたら批判というより「呪い」に近い感覚かもしれません。

 一方、もしあれが自国および自国チームに向けてのメッセージだとしたら、これはいろんな解釈ができそうです。ザックジャパンに一度も勝てていない韓国A代表への叱咤。八百長問題などでボロボロになったまま立ち直れないKリーグへの叱咤。
 そしてなにより、去年のロンドン五輪で竹島プラカード問題を引き起こし、メダルを剥奪されそうになった過去を忘れるなという戒め。

 ・・・なんて書きましたが、同時に安重根や李舜臣の肖像を掲げてる時点で韓国サポーターの意図は疑いようがないわけで。政治アピールを制止されて後半は応援ボイコット、結果として日本に惜敗。まさに見事なまでの本末転倒です。これでは日本側に民度を嗤われても仕方ないんじゃないかと思うんですが。
 
 たった一年前の苦い「歴史」を忘れてサッカー大会で政治的アピールを繰り返す韓国の皆さんに果たして「未来」があるのか、他人事ながら心配になってしまいます。
 今回も、大韓サッカー協会は「先に旭日旗を振った日本が悪い」と責任転嫁。去年の騒動でIOCに旭日旗のことを訴えて却下されたのに、何も学んでいないようです(中央日報記事)。
 
 考えてみると、そもそも彼らは「反省」というものが苦手な国民性なのかもしれません。
 日本人はこれでも一応「なぜ我々は戦争をしなければならなかったのか」「なぜ戦争に負けたのか」をつねに考え自戒しようとしますが、韓国人が「なぜ我々は植民地にされてしまったのか」について熟考している様子はありません。
 韓国の中学校歴史教科書を熟読したことがありますが、「よその国が悪い」「よその国に媚びて外患を呼び込んだ売国奴が悪い」みたいな論調でほとんどの説明を済ませています。現代韓国人は「ウリは外国人でも売国奴でもないから、反省しなきゃいけないことなんか何もない」という態度です。 
 実際コリアは大国に挟まれた小国なので、どうしても外の影響を受けざるをえなかったという歴史的事実はあるでしょう。日本がコリアを併合しなければコリアは日本の植民地にはなっていなかった、そのことに異論の余地はありません(笑)。

 でも、では当時のコリアがまともな国として自立できていたのか? なぜ当時の国際社会は日本による併合を認めたのか? そのことについてどれほど彼らは歴史に学んでいるのでしょうか。
 物事の責任を他国に預けてばかりでは、歴史を未来への糧にすることはできません。国と国の関係が対等であることが原則の現代においてはなおさらです。
 ・・・なんて日本人が言ったところで「歴史を反省しないチョッパリがまた妄言を」と怒られるだけでしょうけど。

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きょうのニュース「朝日新聞、アジア諸国に配慮し社旗を変更」

 朝日新聞社は8月4日付けの朝刊で、周辺国の感情に配慮し社旗を刷新することを明らかにした。
 近年、韓国などから旭日模様に対する批判が強まる一方で、いわゆるネトウヨから「だったら朝日新聞にも文句を言え」との反論が寄せられるなど、同社は板挟みになっていた。
 新しい社旗は青と赤の横縞に「朝」の字を配したデザイン。同社広報部は「上下の青色で海を、中央の赤色で朝日に染まる日本列島を表現した。それ以外の深い意味はまったくないので、ぜひ新しい社旗に親しんでほしい」としている。

朝日新聞社旗

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