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【日大アメフト問題】専制君主が要求するもの―内田国王の「闘争心」vsマスコミ皇帝の「誠意」

 アメフトには興味ありませんが、日大アメフト部の騒動は、社会問題として興味深いですね。
 マスコミや世間は「真実を語れ」と内田監督らを追い込んでいますが、試合の動画や当事者の発言を総合すれば、構図はとても分かりやすいもので、これ以上事実関係を追及したところで何も出てこないと思います。

 責任の所在は別として、日大アメフト部の当事者たちは誰も悪意(相手QBへの加害の意図)がなかったんでしょう。

 報道から事実関係を整理すると、大体次のようになるのでしょう。

 アメフトの世界では総じて荒々しい言葉遣いがされることは、多くの識者が言及しています。「つぶせ」は頻繁に使われる言葉であり、普通は「思い切り当たれ」といった意味で使われるということは共通認識のようです。

 日大アメフト部は上下関係の厳しいスパルタ式であり、そのおかげで2017年に学生日本一になったという実績もあって、内田監督や井上コーチの発言・指示は絶対的な力を持っていました。選手は完全な従属を求められていたわけです。
 宮川選手は日本代表にも選ばれるほどの有力選手であり、監督やコーチは大きな期待を寄せていました。一方で、指導陣は彼のメンタルの弱さ(?)に不満を抱いており、彼を精神的に追い込んで鍛え上げようとしました。

 宮川選手は4月以降、監督やコーチから「やる気がない奴は辞めろ」「練習にも試合にも出さない」「日本代表に行っちゃダメだ」などと厳しく叱責され、実際に練習を外されたりして精神的に追い詰められていました。

 5月6日の関学大との定期戦で、日大の指導陣は勝つことだけでなく(勝つことよりも?)宮川選手の闘争心に火をつけさせることを重点課題としていました。いわば「宮川を漢にしてやる」「一皮剥かせてやる」みたいな感覚だったと想像します。
 そのために「アライン(守備位置)はどこでもいいから相手のQBを1プレー目で潰せ」と命じ、「相手がけがをすればこっちの得だろう」と畳み掛けました。過激な表現ではありますが、ルールに則ったプレーをしていれば相手にけがを負わせても責任を問われることはありませんから、それくらいの心意気で行け、という意味でのハッパだったのでしょう。
 そして宮川選手の「リードをしないで(試合の流れを無視して)突っ込みますよ」という言葉に「思い切り行ってこい」と応じ、「できませんでしたじゃ済まされないぞ」とダメ押しをして送り出しました。

 動画を見る限り、この試合の1プレー目というのは、開始のホイッスルが鳴ってからたったの5秒間程度でした。この間に特定の相手を潰す(=強烈なタックルを決める)のはかなり難しいことです。しかも、相手がボールを持っている間に行わなれば反則になってしまいます。だからこそ、宮川選手にはアラインもリードも無視していいという特権が与えられたのです。この時点で、「選手は試合に勝つために全力を尽くさなければならない」というスポーツの常識とはかなりの乖離が生じていました。ただし日大にとって関学大との定期戦は練習試合のようなものだったとすれば、そういう方針もべつに異常なことではありません。

 当然ながら、宮川選手には1プレー目で理想的なタックルを行うチャンスがありませんでした。それでも「できませんでしたじゃ済まされない」の一心で、彼は反則であることを承知で無茶なタックルを敢行しました。勝負やフェアプレーよりも、指導陣に自分の闘争心をアピールすることを優先したのです。

 宮川選手の無謀な行動は、勝利のためには有害でしかありません。実際、井上コーチは2プレー目の後で宮川選手に「キャリアに行け(ボールを持った相手にタックルしろ)」と指示を出します。「無茶はもういいから通常のプレーに戻れ」という意図だったのでしょう。けれど冷静さを失っていた宮川選手は理解できず、さらに反則を重ねて退場になりました。

 指導陣は、彼のがむしゃらさに一定の満足を得たのでしょう。退場してきた宮川選手を叱ることなく迎えました。内田監督は試合後に、報道陣に対して「選手も必死。あれぐらいやっていかないと勝てない。やらせている私の責任」と発言しましたが、ここにも監督の満足感がにじんでいます。「あんな無茶な反則をしてまで指示を実行しようとするなんて、見どころのあるやつだ」と思っていたに違いありません。

 日大指導陣は、宮川選手に反則をさせたかったわけではないし、相手QBを怪我させたかったわけでもありません。あくまで宮川選手を「成長」させることに重点を置いていたのです。
 一方で、選手が少しくらい反則したって構わないと思っていたし、相手選手の安全性をまじめに考慮することもありませんでした。また、教え子の「成長」といっても、フェアプレー精神に溢れたスポーツ選手というより、闘争心に溢れた「兵士」としての成長を期待したものであり、選手個人の人間性を尊重する意識に欠けていました。ただ、そうした指導で宮川選手が強くなり、日大が強くなって甲子園ボウルを連覇できれば、結果オーライだったのです。
 ところが、反則行為の動画がネットにアップされて炎上し、事態は最悪の状況に転落しました。

 問題が大きくなって宮川選手が退部を申し出た時、かつて「やる気がないなら辞めろ」と言っていたはずの監督やコーチは、必死になって彼を引き止めました。「辞めろ」なんて言葉は彼を発奮させるための方便であり、ようやく漢になった主力選手に去られてしまっては、元も子もないのですから当然のことです。

 宮川選手はもともと井上コーチから「おまえは優しすぎるからダメなんだ」と言われるような性格です。自分の反則が大騒動に発展し、自分もバッシングを受ける中で、部を辞めることも被害者に謝罪することも禁じられて悶々としていました。さらに19日の内田監督の謝罪会見で、すべての原因は自分の勘違い、暴走のせいだと突き放され、指導陣への信頼を失いました。そして捨て身の覚悟でみずから会見を行うことを決断したのです。

 彼の謝罪会見を、世論も関学大も「事実を語ってくれた」と絶賛しました。彼の証言が本当にすべて事実かどうか、厳密に裏取りした人はたぶんいませんが、試合直後の内田監督の発言や他の日大選手の発言などと矛盾せず、何より被害者や世論の感情にしっくりくる会見だったことから、世論は一気に宮川選手の味方になり、内田監督への風当たりはますます強くなりました。

興味深いのが、内田監督とマスコミ世論はものごとの考え方の土台がとてもよく似ていることです。

「宮川選手は反則をしたが、その闘志はすばらしい」(内田)
「宮川選手は反則をしたが、謝罪の態度はすばらしい」(世論)

 どちらも「反則は悪いことだが、より高次元の価値を実現すればいくらでも挽回できる」「その価値は、言葉や理屈ではなく態度で示さなければならない」という信念に基づいています。

 それぞれの国にはそれぞれの国是があります。うまく棲み分けられているうちはいいけれど、何かのきっかけで国境が崩れれば、弱い国は強い国の価値観を受け入れなければなりません。

 内田王国の領内では、安全性とかフェアプレーなんてキレイゴトを言っても通用せず、求められる至上価値は「闘争心あふれるプレー」です。
 かたや記者会見場では、「反則しろとは言ってない」「怪我をさせろとは言ってない」「選手の成長のためだった」なんて弁解は、たとえそれが事実だったとしても通用しません。すべての批判を無条件で受け入れて腹を切ることが、敗戦国の君主に期待される身の処し方なのです。世の中はけっきょく問答無用弱肉強食の世界であり、権力者の期待に応えられるか否かだけが問われるのです。

 宮川選手はつねに内田陛下や井上騎士団長の顔色をうかがわなければならない一兵卒の立場でしたから、世間帝国に飲み込まれたあとは新しい価値観にうまく順応し、見事な謝罪会見をして株を上げました。
 しかし内田監督は、狭いながらも一国の君主だっただけに、世間帝国皇帝マスコミ陛下の前でどんな態度をとればいいか分からず、いまや社会的に抹殺されそうになっています。

 この構図って、いろんなところで見かけますよね。野党のみなさんがモリカケなど安倍政権の一連の問題と重ねたくなるのも無理ないような気がします。
 籠池や加計は学校を作りたくて無我夢中。安倍政権は規制緩和のためにあの手この手。安倍夫人は無邪気な善意にまっしぐら。財務省はそんな彼らに振り回されて四苦八苦。みんな、それぞれの立場で一生懸命でした。当事者でありながら腹をくくって内幕を暴露し、野党やマスコミの寵児となった籠池さんや前川さんは、宮川選手とよく似たポジションです。
 内田監督も安倍首相も、明確な反則指示や私利私欲といった後ろめたいことがないからこそ、強気な態度を捨てられずに世論を敵に回しています。ただしモリカケ合戦では、安倍政権与党軍と野党・左派マスコミ連合軍との間に力の差があまりないため、国民がうんざりするほどの膠着状態が続いています。

 日本と特アの歴史認識問題も似たようなものですね。韓国は現代の価値観に基づいて戦前の日本を否定し、「反省していない」という理屈で現在の日本をも攻撃し一定の成果を挙げました。それでも日韓の力関係をひっくり返すほどの威力はなく、道義面の謝罪やアジア女性基金、日韓合意などを勝ち取るのが精一杯で、これも膠着状態に陥っています。


 現在、マスコミやコメンテーターたちは寄ってたかって日大を批判していますが、彼らだって程度の差こそあれ、それぞれの内部に小さな王国を抱え、その中でのみ通用する価値観と階級構造を持っているはずです。
 そういうことを棚に上げて、ことさら感情的に日大を懲らしめようとすれば、「正義の鉄槌」がブーメランならぬトールハンマーになって戻ってくるかもしれません。万が一、STAP細胞騒動の笹井教授みたいな後味の悪いことになったら、誰が責任とるんですかね?
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SBCの大株主には新聞法4条が必要だw

 放送法4条をめぐる論議は、政府の規制改革推進会議の答申では撤廃を明示しない方針が示されたということで、嵐が過ぎた感があります。テレビだけでなく新聞すらも4条撤廃反対キャンペーンを張っていましたが、これほど頑強に自縄自縛を望む日本のメディアはどれほどマゾなんですかって話ですよね。

4月15日の信毎社説の前半を以下に要約します。

信濃毎日新聞 2018年4月15日社説
http://editorial.x-winz.net/ed-64524

あすへのとびら
テレビの公平原則 撤廃は国民の分断招く

 昨年秋、テレビを自称するインターネットサイトが安倍晋三首相を出演させて彼に持論を一方的に語らせる番組を流した。安保政策、経済、拉致問題…。首相は約1時間にわたり持論を展開した。
 放送法が適用されないからといってこんな偏った番組を流すメディアは無責任である。
 放送法4条は放送局に対し政治的公平のほかに、▽報道は事実をまげない▽意見が対立する問題ではできるだけ多くの角度から論点を明らかにする―などを求めているが、安倍政権はこれを撤廃しようとしている。

安倍政権はこれまで放送法4条を根拠に放送への介入を繰り返してきたが、これは許されないことだ。放送局の自律は最高裁も認めている。番組に問題があるときは、業界で作る放送倫理・番組向上機構(BPO)が自主的に判断する。その仕組みを支えているのが4条だ。



法律の権威は欲しいけどそれに縛られたくはない、何が適法かは自分たちで決めるから口出しするな――。要するにそういうことですよね。こんな身勝手なことを言う連中に、バーゲンセールみたいな値段で電波を独占させておいていいんでしょうか。

元アナウンサーの長谷川豊氏(日本維新の会)がこんなことを述べていました。

2018年03月30日
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/51762936.html
放送法4条撤廃の動き?違うだろ。放送法4条には罰則をちゃんと設けるべきだ。



テレビの客は視聴者じゃない。
スポンサー様だ。
実際に顧客契約書も結んでる。

テレビ局ってのは新聞と全然違う。
新聞はジャーナリズムだ。言いたいことを主張するのだ。なので朝日も産経もあれでいいのだ。
が、テレビは違う。テレビは…

「番組」という「撒き餌」をばらまいて、寄ってきた「大衆」に「CMを見せる」事業形態のことを言う。

だが独占の権利を持っているし、明らかに優遇されている商売形式なので縛りもあるのだ。それが放送法4条。

政治的に中立に。
多々ある議論は並列で。

これが視聴率稼ぎに走っているテレビ朝日やTBSが守っていないことが問題なのだ。明らかに政権批判が多すぎる。

大事なことは放送法4条に罰則規定を設けて、ああいった視聴率稼ぎのために「不安だけをあおり続けるテレビ局」から独占放送波を取り上げることなのだ。

やめろと言ってるんじゃあない。
バランスを欠いた放送は「法律違反だ」と言ってるのだ。
なので「法律を守れ」と言ってるのだ。
全然守らないから「罰則を作れ」と言うのが私の前回の選挙の時からの持論だ。

周波数オークション法案を設け、まず正常な競争原理の中にテレビ局を置き、その上で4条の罰則をきちんと設ければ日本の放送はかなりマシになる。もちろんBPOは解体。全然機能してない。そもそも「法律違反」という案件は検察と裁判所が対応するのが普通。



 今回の信毎の社説は、ごく少数の企業が公共の電波を独占している事実や、テレビ局は政治以前にスポンサーの影響を受けざるを得ない事実にまったく触れていません。

 正直言って、現在のテレビが公平で事実に即した放送をしてると信じている人がどれほどいるんでしょうかね。ひな壇に整形顔が並ぶバラエティ、嘘くさいドラマ、詐欺まがいのCM、偏った主張を繰り返す解説者…。そんな番組を垂れ流しているテレビ局が「4条が撤廃されたら自律できない!」なんて叫べば、長谷川氏のように「だったらむしろ罰則が必要じゃね?」という声が力を持ってくるのは当然の流れのように感じます。

以下、信毎社説後半の一部を要約せず引用。

 米国は30年ほど前、言論・報道の自由を定めた憲法に反しているとの理由で放送の公平原則を廃止した。その結果どうなったか。

 米ギャラップ社の昨年の世論調査結果が興味深い。マスメディアを「信頼する」と答えた人は、全体では41%だった。支持政党別に見ると民主党支持者は72%が「信頼する」と答えたのに対し、共和党支持者は14%。主要メディアとトランプ共和党政権との対立が数字に反映している。

 そんな中で、大統領を支持する保守系メディア傘下の193局のキャスターらが主要メディアの「偏向報道」を一言一句変わらぬ言葉で批判する問題も起きた。テレビを使ったプロパガンダ、政治宣伝だとの批判を呼んだ。

 メディアの機能の一つにフォーラム(討論の場)がある。国民に考える材料を提供し、議論を深めてもらう。その役割を果たすには公平原則が不可欠だ。4条が廃止されてテレビが党派色を強めれば国民の統合どころか、分断を加速する結果を招くだろう。



社説は共和党支持者がトランプのメディア攻撃に踊らされてマスメディアを疑るようになっている、と言いたげですが、同世論調査を分析したガベージニュースによると、共和も民主も支持しない「中立派」層のメディア信頼度も年々低下しているとのこと。
→ガベージニュース「下落を続ける米国内のマスメディアへの信頼感、直近では信頼派は32%のみ」

そもそも、この世論調査が取り上げたのはテレビの信頼度ではなく、ラジオや新聞も含めた「マスメディア」の信頼度です。要するにアメリカ人は新聞も信用していないということ。それがあたかも30年前の放送法改正の影響であるかのように書く信毎は印象操作と言われても仕方ないんじゃないですかね? 本気でメディアの信頼度を回復したければ、「新聞法4条」も必要なんじゃないですかね?

 結局、既存のマスコミが藪蛇のリスクを冒してまで4条撤廃を阻止しようとするのは、放送の世界に市場原理を持ち込まれたくないからでしょう。公平原則に縛られない新聞までが足並みをそろえるのは、新聞がテレビ局の大株主だから。信濃毎日新聞だってSBC信越放送の筆頭株主(17.6%)ですもんね。

わたしのような素人でも、ネット検索すればこういう「裏側」を知ることができるのですから、そりゃあ既存のマスコミが信頼を落とすわけですよ。彼らも自分たちが信用されていないと自覚しているからこそ、なおのこと法律という権威にすがりたがるのでしょう。
本当にジャーナリズムとしての矜持があるなら、「放送法4条撤廃けっこう。我々には表現の自由を保障した憲法と、我々みずから策定した崇高な放送倫理綱領がある!」と胸を張ればいいだけなのに。

テレビ朝日なんか自社の記者からも信用されず、公平原則に縛られない週刊新潮に福田事務次官のセクハラ問題をスクープされてしまう事態となりました。セクハラ発生時にみずから公表するどころか、記者の配置換えなどの対策をとることもなく、リークされた後になって財務省に抗議する厚顔無恥。エロ役人に若い女性記者をあてがって情報を獲ろうとした自分たちも加害者だってことを、まったく自覚できていないようです。

信毎の社説も、最後の段落でとってつけたようにテレビの問題点を指摘しています。

 誤報、やらせ、取材の行き過ぎ…。視聴者がテレビに向ける目は厳しい。放送が信頼されるには役目の自覚と自律の努力が欠かせない。それなくしては政治からの圧力以前に、国民から見放されてしまう。放送法見直しの動きはテレビのありようも問うている。



 言ってることはもっともらしいですけど、市場経済にさらされたら低質なフェイクニュースにすら勝てないと自白しているような既存テレビに、一体何を期待しろっていうんでしょうか。

テーマ : 報道・マスコミ
ジャンル : 政治・経済

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