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「命が最優先」の裏に隠れたサヨクさんの詭弁

 今回のISIL人質事件で、安倍首相を批判するサヨクのみなさんの主張は往々にして支離滅裂な場合が多い印象です。
 そりゃそうですよね。犯人はアルカイダすら愛想を尽かすほどの残虐集団。人質になったのは危険を承知で国境を越えた中年男性2人。相手の要求は無茶苦茶。米英など多くの国が「日本を支援する」と表明。――そういう状況下で被害国の代表である安倍政権を批判するのは、よほどの勇気と信念と根拠が必要です。
 サヨクの皆さんの場合は、勇気はどうか知りませんが信念は石のように硬いものをお持ちの様子。でも肝心な根拠がどうもフニャフニャですから、それらがシャッフルされれば中身がグチャグチャになるのは当然のことです。ステゴサウルスの胃石みたいなものですね。

 その典型例がハフィントンポストに出ていた森達也氏の「最優先すべきは命だ」という記事。
http://www.huffingtonpost.jp/tatsuya-mori/islamic-state_b_6543504.html
 彼の職業は作家だそうで、自信にあふれた文章は確かに読みやすく、好感を持たれやすい感じなのですが、ロジックの面でかなりいびつ。でも、彼の言い分は多くのサヨクのみなさんに共通するものでしょうから、きちんと向き合う必要はあるでしょう。
 向き合うというのはもちろん、「受け入れる」という意味ではなく「突っ込みのネタにする」という意味ですけど。
 以下、引用中の太字は引用者。

イスラム国による二人への殺害予告がなされてから二日が過ぎた22日未明(日本時間)、岡村善文国連次席大使は国連総会で、イスラム国を批判しながら「日本はテロや暴力に屈しない」と演説した。

とても当たり前のこと。「テロに屈する」という選択肢など存在しない。ならばなぜ二人の安否がわからないあの時点で、敢えてイスラム国を挑発するようなフレーズを、次席大使は世界に向けて言わなくてはならなかったのか。


 テロや暴力に屈しないのが当たり前なら、そのことを世界に向けて敢えて明確に示すのだって「当たり前のこと」じゃないですかね。なにが「ならば」でなにが「なぜ」なのか、さっぱり分かりません。
 のっけから読者を混乱させてどうするんですか。

「テロに屈しないという大原則はわかるが、人質の命を最優先に考えるなら、むやみにイスラム国を刺激しないよう、国連での演説は控えるべきだった」
 と言いたいのなら素直にそう書けばいいのに。

テロの定義は、何らかの政治的目的を達成するために、暴力による脅威で標的を不安や恐怖に陥れること。暴力行為だけではテロの要件を満たさない。政治的な目的が必要なのだ。

身代金要求は政治目的とは違う。いわば営利誘拐そのものだ。つまりこれを「支払う」ことは「テロに屈する」と同義ではない。


 だから身代金を払えばよかったと言いたいようですが、これ、完全に詭弁ですよね。なぜこんなときに言葉の定義を議論する必要があるんですか。
 岡村次席大使は「日本はテロや暴力に屈しない」と言ったんですよね? 森さんは「テロに屈するのはNGだけど暴力に屈するのはセーフ」とでも言うんですか?
 たとえテロが政治目的に限定されるものだとしても、ISILは国家を自称し、彼らの「国家」財政を潤すために外国人を拉致したのです。これに対処するのは日本政府の責任なのですから、今回の事件を政治と切り離せるはずがありません。森さんの定義に従ってもやっぱり今回の事件はテロじゃないですか。

もちろん支払うことが国際社会に与える政治的影響は看過できない。何よりも一度支払えば、反復されるリスクがある。だからこそ現時点での最善策を考えること、交渉し続けることが重要だ。

屈しないために考えるべき方法はたくさんある。実際に今は、違う選択肢がイスラム国から提示されている。ただしこの選択肢はきわめて政治的だ。この要求に従うことが、むしろ「テロに屈する」ことなのだとの意識くらいは保持すべきだ。


 ヨルダンの死刑囚釈放はISIL側が突きつけた「要求」であって「選択肢」ではありません。その要求に従うことが「テロに屈する」ことだと森氏も認めているのに、なぜそれを「考えるべき方法」の一例として提示するのか、理解に苦しみます。あえて「選択肢」と呼ぶことで、ISILの理不尽さを矮小化しようとしているようにも受け取れますが。

報道によれば、11月の段階で後藤健二さんの家族に、イスラム国から身代金の要求があり、12月には政府にこれを伝えたという。つまり官邸は二人への身代金要求を知っていた。

その後は極秘裏に人質解放のための交渉を続けていたと思いたいが、ならばよりによってなぜフランスのテロ直後に、二人が拘束されていることを知りながら、安倍首相はイスラム国と敵対する国ばかりを訪問して、連携の強化や対テロのための高額の支援を表明しなければならなかったのか。


 ISILにとって人質はただの手駒にすぎませんから、日本が中東訪問を自粛したところで事態が好転するわけでもありません。むしろ自粛すれば相手をつけあがらせることになりかねません。
 それならば、中東諸国と連携を強めることで、ISILに圧力をかけるという選択肢は十分アリじゃないでしょうか。

 森氏は安倍首相が「イスラム国と敵対する国ばかり」訪問したとご立腹のようですが、ISILと友好な国なんかあるんですかね? 敵対していない国はあるかもしれませんが、それは友好関係にあるというよりたんに無関係ってだけでしょう。そんな国、交渉の協力者としてはなんの役にも立ちませんよね。

さらにアラブにとってはパレスチナ問題で長年の宿敵であるイスラエルを訪れて、日章旗とイスラエルの国旗の前で『テロとの戦い』を宣言しなければならなかったのか。


 安倍首相が「テロとの戦い」を宣言したのは、イスラエル訪問の時だけではありません。その前に訪問したヨルダンやエジプトですでに総額2億円のISIL対策支援を表明しています。そしてイスラエルの後にはちゃんとパレスチナも訪問して歓迎を受け、アッバース議長から人質事件に関して「日本国民との連帯の念を表明する」との言葉を得ています。

 日本が中東に行う総額2億ドルの支援先はヨルダン、レバノン、パレスチナ、イラク、シリア、トルコ。内容は保健医療、水道整備、難民支援、人材開発など。そして首相は支援の意図を次のように説明しています。

 地域から暴力の芽を摘むには、たとえ時間がかかっても、民生を安定させ、中間層を育てる以外、早道はありません。「中庸が最善(ハイルル・ウムーリ・アウサトハー)」。日本はそこに、果たすべき大いなる役割があると考えています。
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2015/0117speech.html



 えーと。これ、25日に首相官邸前で「貧困と戦え」「格差と戦え」とシュプレヒコールをあげてた人たちの望み通りじゃないですか。
 実際にこうして武力ではなく人道面で貢献をしようとしている国の首相に向かって、火炎瓶テツさんは絶叫してました。「安倍晋三は恥を知れ!」――あれはいったいどんな恥のことだったのか。

もしも12月の段階で政府が本気で交渉していたのなら、身代金の金額は桁違いに低かったのだから、今ごろは二人が帰国できていた可能性はとても高い。なぜそれをしなかったのか。


 えーと。12月の段階で、後藤さんの家族に要求されていた身代金は20億円でしたっけ。これが1月20日には2億ドル(236億円)に跳ね上がったわけですが、そんなふざけた額をISILが本気でせしめようとしてたと思ってるんですかね? で、森さんは「あのときさっさと払っておけば、216億円も得したのに」と金勘定をしていると。なんですかその態度。さっきの「テロに屈するという選択肢など存在しない(キリッ」ってのは何だったんですか。

しかも二人が拘束されて身代金の請求があったその時期に、安倍首相は(大義なき)選挙に踏み切った。使われた税金は600億円。


 なんでいきなりそこに選挙の話が出てくるんですか。ISILに邦人が拘束されてたら選挙しちゃいけないんですか。大義のない選挙がだめなら中義があればいいですか。日本はどこまで卑屈にならなくちゃいけないんですか。それもこれも、「身代金要求はテロじゃない、テロじゃなければ屈していい」という森理論が根拠ですか。

「言語道断」とか「許し難い」などと常套句を口にしている場合ではない。許し難いとは許すのが難しいということ。ならば一人を殺されても許せる余地があるのか。あなたの怒りはそのレベルなのかと、メディアは突っ込むべきだ。


 ますます言っていることが支離滅裂になってきましたが、官邸の一種紋切り型なコメントに対する不満はサヨクの皆さんに根強いようですね。共産党の池内さおり代議士も「『ゴンゴドウダン』などと、壊れたテープレコーダーの様」と安倍批判のツイートをして志位委員長に叱られていました。
 ちょっと志位さん、社民の福島さんよりずっとマトモじゃないですか。

 一部のサヨクさん方にしてみれば、こんな時こそ安倍首相や管官房長官のうろたえる姿が見られると期待していたのでしょう。
 どうやら、官邸のマニュアル的な物言いは意図したもののようです。意外にも信濃毎日新聞に、日本政府の対応を評価する識者の論評が載っていました。
 元内閣安全保障室長の佐々淳行氏です。

 今回、日本政府の対応はまずまずだ。管義偉官房長官は非常にスポークスマンとして慎重で、余計なことは言わないことをモットーとしている。控えめなのは良い。安倍晋三首相は談話で、まず憤りを示した。これは04年の人質事件のときの教訓が生きている。
 当時、首相は小泉純一郎氏、官房長官は福田康夫氏だった。このとき、私は①日本が怒っていることを第一に言うべきだ②自衛隊はイラク復興のために派遣され、一発も発砲しておらず、筋の通らない要求は拒否すべきだ③自己責任の原則④人命尊重であらゆる手段で救出する―といった点を進言した。
 安倍首相はこの進言を覚えているのだろう。まず、日本が怒っていることを伝え、イスラム国対策の2億ドル支援は非軍事の人道支援であると主張した。一方、「自己責任の原則」や特殊部隊投入を含めた実力行使の可能性には言及していない。これは、人質殺害の危険が非常に高い状況下では賢明であり、対応は慎重で発言内容も適切だ。

信濃毎日新聞4面 2015.1.26


 要するに、国のトップである首相がむやみに怒ったりうろたえたりすることが、テロリスト相手の交渉で有利な結果を生むのかって話ですよね。むしろ敵を喜ばせるだけ。
 シビアな交渉の最前線にいる首相や官房長官に向かって、常套句を口にするなとか壊れたテープレコーダーだとか、下らないイチャモンをつけてる人って、同じ立場になったら最悪な結果しか生まなさそう。

国益が大好きな日本のメディア関係者やジャーナリストや識者たちに言いたい。国益とは国の利益。でも確認するけれど国益の最優先は、国民の生命のはずだよね。

ならばその国益が明らかに犯されようとしている今、なぜこれを放置し続けた政権を批判しないのだろう。なぜ見過ごしているのだろう。なぜ本気にさせないのだろう。

これ以上は過ちを重ねないでほしい。もう一度書く。最優先すべきは命だ。


 「命」を最優先にしなければならないという主張にはわたしも同意します。でも、誰の「命」を優先させるかについては、おそらく議論が生じるでしょう。
 ISILの要求に応じれば、後藤さんの命は助かるかもしれませんが、釈放された爆弾テロ犯は再びテロを行って多くの市民の命を奪うでしょう。日本政府が身代金要求の段階で応じていた場合も、その多額の資金でISILは武器を購入し多くの人々を殺したでしょうし、気をよくしたISILは身代金目的の拉致・脅迫事件をエスカレートさせたでしょう。とくに「お得意様」である日本人がターゲットになるリスクは飛躍的に増大します。今回は邦人2人が「飛んで火に入る夏の虫」状態で被害に遭いましたが、ISILに屈服を続け彼らを肥え太らせていけば、将来的にはその工作員やシンパが日本国内でテロ事件を起こす危険性も出てきます。

 で、森さん。あなたのいう「命」って誰の命ですか。それが後藤さん一人の命を指しているのなら、はっきりとそう言ってください。

「さっさとISILの要求を受け入れて後藤さんの命を救え。ヨルダンや国際社会との関係が悪化しようが、日本をはじめ世界じゅうでテロや暴力のリスクが増大しようが、いまはそんなことどうでもいい。将来の国益損失を恐れるな!」

 こういう発言なら、わたしは一目を置きますよ。同意はしないし、もし政府がそんな行動に出ようとしたら猛反対しますけど、一つの立場としては筋が通っていると思います。他人から非難される覚悟ができたうえでの発言ですから。

 でも、森さんや官邸前のデモ隊のみなさんは、あくまで自分たちは「いい子」を保ちながら他人を批判しようとしています。
 欧米の中東政策のまずさを強調することでテロの卑劣さを希釈する一方、自国政府の落ち度を針小棒大にあげつらって責め立てる。それによって「命を尊ぶボク」「平和を愛するアタシ」をアピールし、それに異を唱える人々を「恥を知れ」となじるのです。薄汚い。
 森さんの場合はとくに論法が強引です。「テロに屈するという選択肢などない」と予防線を張ったうえで、
「身代金を払うだけなら『テロに屈する』ことにならない」
 ↓
「安倍政権は身代金を払わず、事件を本物のテロにエスカレートさせた」
 ↓
「安倍政権は人命を最優先にせよ」
 ↓
助かった場合「安倍政権はテロに屈した」
助からなかった場合「安倍政権は人命を軽視した」

 ・・・結局、自分は安全なところに身を置いて、結果がどうあっても安倍を叩けるよう網を広げているわけです。薄汚い。
 また、彼の言い回しが嫌らしいんですよね。「なぜあえて~~せねばならなかったのか」と質問形で相手を追い詰めるばかりで、肝心な部分では「~~するな」とも「~~すべきだ」ともなかなか言わない。「命を最優先に」とは言うものの、「後藤さんの命を最優先に」とはどこにも書かない。
 いろんなところに逃げ道を用意しながら、安倍首相のイメージダウンだけはきっちり狙っているあたり、さすが作家、文章力があることだけは認めてあげたいと思います。姑息であることは変わりありませんけど。


 追記で元記事の全文をコピペしておきます。

http://www.huffingtonpost.jp/tatsuya-mori/islamic-state_b_6543504.html

森達也
映画監督、作家

最優先すべきは命だ
投稿日: 2015年01月26日 09時57分 JST 更新: 2015年01月26日 13時43分 JST ISLAMIC STATE JAPAN

イスラム国による二人への殺害予告がなされてから二日が過ぎた22日未明(日本時間)、岡村善文国連次席大使は国連総会で、イスラム国を批判しながら「日本はテロや暴力に屈しない」と演説した。

とても当たり前のこと。「テロに屈する」という選択肢など存在しない。ならばなぜ二人の安否がわからないあの時点で、敢えてイスラム国を挑発するようなフレーズを、次席大使は世界に向けて言わなくてはならなかったのか。そこに官邸の意向はどのように働いていたのか。

世界ではアメリカ同時多発テロ以降、そして日本では地下鉄サリン事件以降、テロは社会に挑戦する絶対悪となった。その帰結として言葉のインフレが加速した(特にこの国では)。

つまり濫用だ。その結果として解釈が拡大される。要するに何でもかんでもテロ。2013年にボストンで爆破事件が起きたとき、日本の主要メディアはテロとしてこれを伝えたけれど、アメリカのメディアはテロを使わなかった。今もこの事件の呼称は、アメリカではBoston Marathon bombingsと素気ないが、日本ではボストンマラソン爆弾テロ事件だ。

アメリカのメディアがテロという言葉を使わない理由は明確だ。実行犯の兄弟二人は、何の政治的声明も発信していない。ならばこれはテロではない。単なる爆破事件なのだ。

テロの定義は、何らかの政治的目的を達成するために、暴力による脅威で標的を不安や恐怖に陥れること。暴力行為だけではテロの要件を満たさない。政治的な目的が必要なのだ。だからこそノーム・チョムスキーは、アメリカをテロの常習国家と呼ぶ。

ところが動機すら解明されていないオウムによる地下鉄サリン事件がテロと躊躇いなく呼ばれるように、日本のメディアは、「テロ」をとても安易に使う。その結果として数々の弊害が生じる。その一つが「テロに屈するな」の濫用だ。

ここまでを読みながら気づいた人もいるかもしれない。身代金要求は政治目的とは違う。いわば営利誘拐そのものだ。つまりこれを「支払う」ことは「テロに屈する」と同義ではない。でもこれを混同している人が多い。何よりも官邸がそうだ。そうなると交渉することそのものも、テロに屈したということに拡大解釈されてしまう。

もちろん支払うことが国際社会に与える政治的影響は看過できない。何よりも一度支払えば、反復されるリスクがある。だからこそ現時点での最善策を考えること、交渉し続けることが重要だ。

屈しないために考えるべき方法はたくさんある。実際に今は、違う選択肢がイスラム国から提示されている。ただしこの選択肢はきわめて政治的だ。この要求に従うことが、むしろ「テロに屈する」ことなのだとの意識くらいは保持すべきだ。

そのうえで最優先は命を救うこと。そのための策を練ること。実行すること。当たり前だ。

報道によれば、11月の段階で後藤健二さんの家族に、イスラム国から身代金の要求があり、12月には政府にこれを伝えたという。つまり官邸は二人への身代金要求を知っていた。

その後は極秘裏に人質解放のための交渉を続けていたと思いたいが、ならばよりによってなぜフランスのテロ直後に、二人が拘束されていることを知りながら、安倍首相はイスラム国と敵対する国ばかりを訪問して、連携の強化や対テロのための高額の支援を表明しなければならなかったのか。さらにアラブにとってはパレスチナ問題で長年の宿敵であるイスラエルを訪れて、日章旗とイスラエルの国旗の前で『テロとの戦い』を宣言しなければならなかったのか。殺害予告の期限が近づいている22日に国連の場で次席大使に、あんなパフォーマンスをさせなければならなかったのか。

テロと戦う。このフレーズを掲げながら集団化を進めたアメリカはイラク戦に突入し、結果としてイスラム国が誕生した。すべてが連鎖している。それも最悪の方向に。なぜイスラムの一部はこれほど西側世界を憎悪するのか。その構造を理解すれば、二人の国民が拘束されているこの時期に、イスラエルなどに行けるはずがない。挑発と解釈されて当然だ。

もしも12月の段階で政府が本気で交渉していたのなら、身代金の金額は桁違いに低かったのだから、今ごろは二人が帰国できていた可能性はとても高い。なぜそれをしなかったのか。「テロに屈する」とか「テロと戦う」などのフレーズが交渉のブレーキになったのだとしたら、あまりに意識が低い。優先順位を決定的に間違えている。

およそ10年前、イラクで一人の日本人若者が殺害されたとき、この国は何もできなかった。悔しかった。何もできない自分が腹ただしかった。もうあんな思いはしたくない。

結果的に官邸は二人を救出できる芽を摘んだ。さらに火に油を注いだ。それも何度も。しかも二人が拘束されて身代金の請求があったその時期に、安倍首相は(大義なき)選挙に踏み切った。使われた税金は600億円。致命的なミスを何度もくりかえしている。命を軽視し続けてきた。

その帰結としてハードルはどんどん上がっている。ついには一人が殺害された。犠牲になった。「言語道断」とか「許し難い」などと常套句を口にしている場合ではない。許し難いとは許すのが難しいということ。ならば一人を殺されても許せる余地があるのか。あなたの怒りはそのレベルなのかと、メディアは突っ込むべきだ。

国益が大好きな日本のメディア関係者やジャーナリストや識者たちに言いたい。国益とは国の利益。でも確認するけれど国益の最優先は、国民の生命のはずだよね。

ならばその国益が明らかに犯されようとしている今、なぜこれを放置し続けた政権を批判しないのだろう。なぜ見過ごしているのだろう。なぜ本気にさせないのだろう。

これ以上は過ちを重ねないでほしい。もう一度書く。最優先すべきは命だ。

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テーマ : サヨク・在日・プロ市民
ジャンル : 政治・経済

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