産経の閔妃記事に怒った韓国人「だったら安倍は伊藤博文だ!」

 朝鮮日報のコリア語版が、ネットの声を引用して産経新聞を批判する記事をトップページに掲載していました。

2015年9月1日 朝鮮日報コリア語版
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2015/09/01/2015090101697.htm

朴大統領「閔妃」比喩コラムにインターネット逆上・・・「安倍は伊藤博文」「チョッパリ」

 日本の右派性向日刊紙である産経新聞が、さる31日に朴槿恵大統領を明成皇后(閔妃)に例えるインターネット版コラムを掲載したことをめぐり、国内ポータルサイトやSNSなどでは激昂した反応の文が多数上がってきている。
 この日ポータルサイトネイバー関連記事に付いたコメントは、「私達の大統領を閔妃だというのは(産経新聞が)暗殺者を放って殺害をそそのかすのと違わない。産経ソウル支局をすぐ閉鎖せよ」(ID ycki)、「じゃあ(日本)安倍(首相)は伊藤博文である。第2の安重根が現れる」(k001)との文章が上がった。
 ツイッター上でも反日性向の文が無数に上がってきている。いくつかは露骨な用語を動員し日本を攻撃した。「人面獣心のニホンザルは相手する必要がない」、「日本の極右勢力は悪魔」、「日本もアメリカにこびて生きているのではないか」、「富士山が爆発する時になったが」といった文が続々と掲載されている。「安倍も(狙撃された)伊藤博文にそっくりだ」、「チョッパリ根性がどこに行くのか」、「だから君たちの島は沈没する」という文等もある。

 右派インターネットサイトである「イルベ」には「大韓民国...産経新聞爆破指令を下せ」との文が上がった。「日本国内に義烈団を作って産経新聞を爆破しよう」という内容である。このほか、「産経新聞をすぐに廃刊させよう」、「産経新聞をハッキングしよう」という内容の文なども掲載された。
 一方、韓国政府は産経新聞の対応コラムに記事の削除を要求するとの立場を明らかにした。政府当局者は1日「歴史歪曲と歴史修正主義のDNAを持って過去の歴史について厚顔無恥な主張を日常的に行う日本国内の特定の要人と、この関係報道機関の誠意のない記事は、政府次元でコメントする一考の価値もない」とした。続いて、「その報道機関の記事の削除と再発防止を要求する予定だ」とした。

(強調引用者)

 ネットに垂れ流された声を並べるのはレコードチャイナなどがよくやる手ですが、日本の大手新聞のWeb版ではあまり見かけません。ネット上の無責任な匿名発言を引用するのは記事の品格、ひいては新聞そのものの品格が落ちるという意識があるからでしょう。ですから日本のメディアは基本的には「街角で拾った市民の声」「有識者の見解」という形を取ることが多い印象です。

 韓国の最大手新聞が、記者コラムなどではなくれっきとした報道記事の中で、日本で言えば2ちゃんねるに相当するようなネット掲示板の過激な声をあえて取り上げたのは、それだけ産経の記事にムカついている証拠でしょう。
 しかもその罵倒の内容が「だったら安倍首相は伊藤博文だ」とは…。それ、日本人にとっては首相に対する最大級の賛美なんですけど。これ以上安倍首相を喜ばせてどうするんですか。

 日本ヘイトをまき散らしている低俗なネット民は仕方ないとしても、それを記事に取り上げて拡散させている大手新聞すら、日本国内で伊藤博文がどれほど偉人として尊敬されているのかを、ろくに知らないのかもしれませんね。もし知っていれば、記事に引用したとしても少しは解説めいた文を入れそうなものです。
 しかも、安倍首相=伊藤博文だとしたら、第二の安重根が義挙を達成した暁には、韓国は再び亡国する運命になってしまいます。こんな縁起の悪い記事を書いた朝鮮日報が青瓦台に怒られなきゃいいけどw 

 日本ではちょうどいま、ヘイトスピーチ規制法案が参議院で審議中です。わたしは以前、この法案が成立したらむしろ韓国人による日本蔑視にスポットが当たって日韓関係はますます悪化するだろうと予想しましたが、この朝鮮日報の記事はまさにそれ。国を代表する大手新聞がトップページに堂々とこんな記事を載せるなんて、常識のある国のやることではありません。

 問題となっている産経新聞の記事はわたしも読みましたが、いまの韓国が李朝末期の朝鮮にそっくりだというのは、韓国ウォッチャーにとっては常識です。記事の前半で指摘されている韓国の現状も、後半で紹介されている歴史も、少なくとも日本では一般的な見解でしょう。
 まあ、政治能力はともかくクソ真面目という取り柄がある朴槿恵さんを、ひたすら権力闘争に明け暮れたオカルトかぶれの閔妃になぞらえるのは少し可哀想な気もします。事大主義は民族の伝統であって、朴槿恵や閔妃に限ったことではありませんし。

 でも、どちらの「女帝」も大国の間でフラフラし、かえって周辺国の不信と対立を煽っているのは事実です。しかも当人は大国をうまく手玉に取っているつもりでいるから、日本から見ると歯がゆいことこの上ない。
 韓国人は「日本もアメリカに事大してるじゃないか」と口を尖らせていますが、あくまで米国に軸足を置き、日米同盟の信頼を重視している安倍外交は、韓国の無節操なコウモリ外交とはまったく次元が異なります。

 韓国にしっかりと事大根性が根付いている事実は、この朝鮮日報の記事からも伝わってきます。

>「富士山が爆発する時になった」
>「だから君たちの島は沈没する」

 ネット上における韓国の皆さんの発言て、こういうのがやたら多いんですよね。 「富士山が爆発するぞ」「地震で沈没しちゃえ」「大津波に列島ごと流されろ」…。これは易姓革命思想の残滓かもしれませんが、もう一つの側面としては、自分たちの気に入らない国は天帝が罰を与えてくれるに違いないという他力本願、ある意味宗教レベルの事大主義とも言えるんじゃないでしょうか。

 「下劣な記事などコメントする価値もない」と言っておきながら、記事の削除を要求する韓国政府の態度もみっともないですね。
 コメントする価値がないのならほっとけばいいのに。
 当然ながら、産経は韓国政府の要求を突っぱねました。さあ、朴政権はどうするか。裁判を起こしたり制裁を行えばますます世界から「言論弾圧国家」の烙印を押されかねないし、かといって「泣き寝入り」したら国内世論から叩かれるし。また悩みが一つ増えました。
 産経を理詰めで屈服させようとすれば、あの記事のどこがどうケシカランのかを指摘しなければならないわけで、これはかなり面倒くさい作業のはずです。加藤前局長の場合はどちらかといえば下世話な話題でしたから、頭ごなしに名誉毀損と決めつけられましたが、今回の記事をガチで批判しようとすれば、いまの韓国政府の外交政策の是非と歴史認識の是非、両方をひっくるめた大論争になりかねません。

 それにしても、自分たちの大統領を閔妃呼ばわりされて怒るってことは、閔妃が国を傾けた悪女だったという歴史認識は韓国内に定着しているんでしょうか。テレビドラマやミュージカルで美化されまくって、すっかり「悲劇の国母」扱いされていると思っていましたが。
 ウィキペディアの閔妃の項によれば、過去には閔妃を批判的に論じた韓国人ジャーナリストが閔妃の子孫から訴えられて賠償命令が下されているそうです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%94%E5%A6%83#.E9.96.A2.E9.80.A3.E3.81.AE.E8.A9.B1.E9.A1.8C

2005年9月2日、韓国人ジャーナリストの金完燮がその著作の中で歴史上の人物である閔妃のことを、「朝鮮を滅ぼした亡国の元凶であり、西太后と肩を並べる人物」などと評論したことに対して、ソウル中央地裁から名誉毀損であるとして閔妃遺族らへそれぞれ1000万ウォンを支払うよう命じられる。


 この遺族のみなさんがふたたびハッスルして訴訟を起こす可能性はあるかもしれません。

 閔妃は李朝の滅亡を早めた悪女だったのか、伊藤博文は暗殺されて当然の悪魔だったのか。こんな議論、21世紀に生きる人間にとっては本来ならどーでもいいことのはずです。歴史的人物がどういう行動をしたかは史実として明らかでも、その行動の背景や当人の気持ちなどは明らかでない場合がほとんど。そこに解釈の余地が生まれるわけで、要するに歴史というのは国それぞれ、人それぞれに信じたいものを信じているのがデフォルトです。

 宗教の世界では、ギリシャの神霊ダイモンがキリスト教で悪魔(デーモン)扱いされたりとか、仏教のお釈迦様がヒンズー教ではヴィシュヌのコスプレの1バージョン扱いされたりとか日常茶飯事。それをいちいち問題視して異教徒に文句をつけていたら、しまいには殺し合いの宗教戦争に行き着きます。

 日韓の歴史認識論争だって同じこと。日本人にとって伊藤博文公は近代日本の礎を作った偉人ですが、韓国の一メディアが彼を悪魔呼ばわりしたところで、日本政府は記事の撤回など求めません。同様の冷静な態度を、韓国政府はなぜとれないのか。彼らの言動に、「道徳的に劣った日本」への差別意識を感じる日本人は、わたしだけではないはずです。

 また、そういうムチャぶりを後押しする勢力が日本に多いんですよね。その一つがわれらの信濃毎日新聞です。

8月28日信濃毎日新聞社説

戦後70年に 歴史共同研究 21世紀懇の提言を生かせ

(要約)
 安倍晋三首相が戦後70年談話の発表に向けて設置した私的諮問機関の「21世紀構想懇談会」は、今後の日本が取るべき具体的な施策も提言している。中でも世界各国の研究者による歴史共同研究の場の提供は重要だ。

 日本と中国、韓国との対立の元には歴史認識の隔たりがある。関係を改善していく上で、この溝を埋める営みは欠かせない。
 2000年代、日本は中国と1回、韓国とは2回、歴史共同研究を行った経緯がある。ただ、近現代史は共通認識をつくるのが難しかった。韓国との間では日韓併合、強制連行、植民地での日本語教育などをめぐって両論併記で終わっている。

 違いは残っても、両国の研究者同士が膝を交えて議論したことに意義がある。まだ序章だ。違いを認め合った上で、なぜ違うのかを研究し合う次の段階に進まなければならない。継続的な枠組みとして整え、少しずつでも一致点を探る息の長い取り組みにしたい。


 歴史認識を一致させれば和解できるなんて、ただの幻想だと思いますね。むしろ、一致に向けて議論すればするほど小さな差異が大きくほじくり返され、対立を生むことになるでしょう。「なぜ違うのか」、そんなことを論じ合ってどうするんですか。答えは明らかですよ? お互いに指差し合って「おまえが劣っているからだ!」。

 "世界各国"の研究者を巻き込むことで、当事国の民族主義や政治イデオロギーを極力排除した土俵で歴史研究をやろうという懇話会のアイデアは面白いですけど、まず人選から揉めるだろうし、プロジェクトが出した結論を両国民が素直に受け入れるかどうかは別問題です。強引に押し付けようとすれば、「角を矯めて牛に蹴り殺される」なんてことになりかねません。プロジェクトに参加した研究者は両国民から恨まれることを覚悟しなければなりません。

 われわれ日韓両国民に必要なのは、お互いの間に横たわる深い溝を無理に埋めることではなく、そこに溝があることを理解して近寄らないようにすることです。無理に埋めようと縁を削ってもますます溝は広がるだけ。無理に飛び越えようとすれば落ちるだけ。金と手間をかけて橋を渡しても、どうせ「おまえが渡れ」「いやおまえが」と喧嘩になるだけ。

 一方で、たとえ2人の間に溝があっても、お互いに適切な距離を保てば、同じ方向を目指して歩くことはできるはず。声をかければ会話だってできますし、並んでぼちぼち歩いていけば、そのうち溝が小さくなってくれるかもしれません。
 問題は、韓国が日本と同じ方向に歩く意志があるのかどうか。
 産経の野口さんは、皮肉まじりながらその問いを朴槿恵大統領に投げかけたかったんだと思います。 
 そしてその問いの答えは、ほぼ明らかになったとみて良さそうです。
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 韓国について
ジャンル : 政治・経済

コメントの投稿

非公開コメント

最新記事
カテゴリ
カレンダー
10 | 2018/11 | 12
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
アクセスカウンター