「安倍ヤメロ」と「韓流ヤメロ」はどこが違うか

 今回の安保法案騒動では、サヨクメディアやサヨク学者のみなさんのSEALDs押しがすごかったですね。

 たとえば、以前わたしがツッコミを入れさせてもらったサヨク学者の西谷修先生も、ご自身のブログでしきりにSEALDsを持ち上げていました。

言論工房 Fushino_hito
2015/07/16 SEALDsの「民主主義ってなんだ?これだ!」
http://fushinohito.asablo.jp/blog/2015/07/16/7708683

 いまSEALDs(Students Emergency Action for Liberal Democracy -s:自由と民主主義のための学生緊急行動)という若者たちのグループが注目されている。

 今年の5月からSEALDsを名乗るようになったが、不意に出てきたわけではない。一昨年の秘密保護法の強行採決や去年の集団的自衛権容認の閣議決定などに、これはひどいことになると危機感をもち、学生有志でSASPL名で活動してきた(「秘密保護法に反対するがくせい有志の会」)。それがこの春、ヴァージョンアプ【原文ママ】して本格活動を始めたのだ。

 今までの政治運動とはまったく違って、どんな組織や思想潮流とも関係がない。自由な発想に立っている。だが、今の日本、とりわけ安倍政権が代表する日本の政治が、若い世代の「ふつうの生活」の土台そのものを巻き込んで、彼らの「未来」を奪い去ろうとしていることに、肌身で危機感を抱き、それを不当だと感じる者たちが集って、自分たちで新しい運動を始めようと立ち上がったのだ。

 その思いを集約したのが「民主主義って何だ?」という疑問だ。この国は民主主義のはずなのに、自分たちが主役のはずなのに、こんなことになっていいのか?いい加減の、カラクリだらけの選挙で議席さえ取れば、勝手に「国民」を巻き込んで何でも決めていいのか?馬鹿にするな!だったらここで「民主主義をやってやろうじゃないか! これが民主主義だ!」と。


 日本人は、妙に子供や若者を神聖視したがる傾向があります。
 若者は知識が乏しい反面、無垢だから本質的な正しさを見抜く感性を持っているに違いない、という幻想があるようです。
 長野県でも、自治体が大学と提携して大学生の実習を受け入れ、学生たちの「ぼくらが思いついた地域おこしアイデア」を役人たちがありがたがったりしています。

 SEALDsが登場する以前のサヨクデモは、政党や労働組合のオジサン、プロ市民系のオバサンが中心となったヒステリックで古臭いものというイメージがありました。そこにオシャレ(?)な若者たちのグループが突然登場したことで、行き詰まりを感じていた昭和世代が大喜びで御輿に担ぎあげたという流れでしょう。オークダーキはさしずめ天草四郎かジャンヌ・ダルクか。
 若者たちによるオシャレ(?)なサヨク運動というのは、特定秘密保護法反対運動が盛んだった時に信毎の記事にも取り上げられていましたが、いま思えばあれがSEALDsの前身だったのかもしれません。

 「政治に関心を持ってくれるとは、今時の若者も捨てたもんじゃないな」「デモこそ民主主義の本来の姿。戦争法は成立してしまったけれど、オレたちの戦いはこれからだ!」と、サヨクのみなさんは鼻息を荒くしています。

 「国会前のデモに12万人も集まった!」「世論調査では過半数の国民が戦争法案の強行採決に反対している!」…あっれえ、あなたがたついこの前までは「少数派の意見を尊重するのが民主主義だ」「多数決はただの多数決主義であって民主主義ではない」とか言ってませんでしたっけ。国会での多数決を批判する口で、世論調査で過半数を占めたことやデモに大人数を集めたことを誇示するのは矛盾してませんか。

 民意が国会にきちんと反映されないのが不満ならば、選挙制度に文句を言うべきであり、国会における多数決を「強行採決」などと呼んで批判するのはお門違いです。それとも何ですか、民主党や社民党は、自分たちが政権与党だったときの国会では多数決をしなかったんですか?
 自分たちが過半数なら正しい多数決、相手が過半数なら悪い多数決。そんなのばっか。
 まあ、人間なんて自分に都合のいいメガネでしか物事を見られない生き物かもしれませんけど。わたしも含めて。

 社会や政治に関心を持ったイマドキの若者が、既存の団体に縛られず、ソーシャルメディアなどでつながって自主的なデモ活動を行うようになったのは、SEALDsが最初ではないはずです。ここ数年来の流れでいえば、お台場で行われたフジテレビ嫌韓デモの方が画期的だったんじゃないですかね。

 お台場のデモは「韓流なんかウンザリだ」という素朴な主張でしたが、これがきっかけに嫌韓という価値観が市民権を得、やがて日韓外交にも大きく影響していったのですから、政治的な要素を多分に含んでいます。

お台場嫌韓デモ 国会前反安倍デモ
開催日2011年8月21日2015年8月30日
参加人数(主催者発表) 6,000人 120,000人
参加人数(警察発表) 5,300人 30,000人
参照:Wikipedia

当時の映像

お台場


国会議事堂前


 わたしは当然ながらどちらのデモにも参加していませんが、上記の情報から自分なりに感じた両者の違いをいくつか挙げてみたいと思います。

人数
 お台場デモの方が圧倒的に少数ですが、警察発表との差を比べると、お台場の主催者の方が圧倒的に"正直"であることがわかります。

シュプレヒコール
 お台場デモのシュプレヒコールは長文。後に続く参加者の掛け声は、ちょっとバラバラ感あり。
 国会前デモは鳴り物が入ってリズミカル、フレーズは「戦争反対」「安倍はやめろ」など短く単純。従来のサヨクデモと大差ない感じ。

プラカード
 お台場デモは素朴、手作り感にあふれる手書きが多い。
 国会前デモはカラフルで、印刷されたものやコピーされたもの、凝ったものが多い。

参加者の態度
 お台場デモは整然としており、主催者側もかなり気を使っている様子。
 国会前デモは騒々しく、一部で警察ともみ合い。

社会環境
 お台場デモが行われた2011年は韓流ブームの絶頂期。メディアは無視もしくは批判的に報道。民族差別のレッテルを貼られる。
 国会前デモは野党、団体、学者、メディアが全面的にバックアップ。SEALDsは国民世論の代表者扱い。


 こうやって見てみると、四面楚歌の中で声をあげた当時の「嫌韓厨」の皆さんは、勇気がありましたね。政党や学者、メディアからちやほやされているSEALDsと比べ、当時の嫌韓デモの方が不器用で手作りで、でもずっと切実感に溢れていたように感じます。

 ちなみに、先ほど紹介した西谷先生の文章は、ちょっと単語を入れ替えて「安倍政権」を「フジテレビ」、「民主主義」を「日本」などにするだけで、そっくりそのままお台場デモの紹介文になってしまいます。

 今までの政治運動とはまったく違って、どんな組織や思想潮流とも関係がない。自由な発想に立っている。だが、今の日本、とりわけ【フジテレビ】が代表する日本の【マスコミ】が、若い世代の「ふつうの生活」の土台そのものを巻き込んで、彼らの「【誇り】」を奪い去ろうとしていることに、肌身で危機感を抱き、それを不当だと感じる者たちが集って、自分たちで新しい運動を始めようと立ち上がったのだ。

 その思いを集約したのが「【どうして韓流押し】何だ?」という疑問だ。この国は【日本】のはずなのに、自分たちが主役のはずなのに、こんなことになっていいのか?いい加減の、【ステマ】だらけの【番組】【スポンサー料】さえ取れば、勝手に「国民」を巻き込んで何でも【放送】していいのか?馬鹿にするな!だったらここで「【愛国】主義をやってやろうじゃないか! これが【日本】だ!」と。


 デモというのはもともと反権力の武器です。お台場の嫌韓デモは、強大なマスメディアという権力に視聴者が抵抗するという構図がありました。強大な安倍政権に抵抗するSEALDsと、本質的には同じです。
 われわれネトウヨは、安保関連法に関しては政権を支持する立場ですから、今回はデモなんて面倒くさいことに力を入れずにすみました。政府与党が粛々と法案を通過させるのを見守るだけでした。
 一方、野党側もそれなりに手応えを得て調子づいたようで、あの共産党が民主党などに選挙協力を呼びかけるという、なかなか面白い動きを見せ始めています。

「共産、他党と選挙協力=安保法成立で方針転換」(時事ドットコム)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015091900247

「戦争法廃止で一致する政党・団体・個人が共同して国民連合政府をつくろう」(しんぶん赤旗
http://www.jcp.or.jp/web_policy/2015/09/20150919-yobikake.html

 こういうのもねえ…矛盾の塊ですよね。共産党って、これまでの選挙でずっと「民主党は自民党と同じ穴のムジナ」「日本にはたしかな野党が必要です」って叫び続けていたのに。
 万が一政権を取ってしまったら、今度は自分たちが「権力者」の立場になり、国民から監視され突き上げられる立場になるんですけど、アイデンティティは保てるんですかね?
 
 しんぶん赤旗の記事では、「戦争法廃止、安倍政権打倒のたたかいをさらに発展させよう」と訴えています。

私たちは、心から呼びかけます。憲法違反の戦争法を廃止し、日本の政治に立憲主義と民主主義をとりもどす、新たなたたかいをおこそうではありませんか。安倍政権打倒のたたかいをさらに発展させようではありませんか。


「戦い」ではなく「たたかい」とひらがな表記なのが気持ち悪い。平和を守れ、戦争を許すなと叫ぶ立場の自分たちが、「戦い」なんて好戦的な言葉を多用するのはいかがなものかという迷いがあるのでしょう。でも他に言葉が思いつかないから、せめてひらがなの柔らかいイメージでごまかそうというのでしょう。くだらねーの。

 万が一、サヨク勢力がふたたび政権をとった場合には、こんどはわれわれが抗議活動に精を出さねばならない立場になるのでしょう。
 今回の左右のデモ比較で得た教訓は、「デモはオシャレにやったほうがいい」ということです。
 シュプレヒコールの音頭はオッサンではなく若者もしくは女性が務めること。
 参加者はなるべくオシャレな服装を心がけること。
 行進の先頭の横断幕はイケメンや美女に持たせること。
 主催側のスポークスマンは、しゃべりがうまくてスマートな人が務めること。

 SEALDsには奥田愛基という看板がありますが、右派にはだれがいるでしょうか。桜井誠は論外として、古谷経衡?KAZUYA? うーん…、もう少し人材がほしいところですね。わたしが力になれなくて残念です。
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