弁解を封じるな、論破しろ

牧村朝子さんというタレント&エッセイストさんの文章がインターネットのヤホーに載っていました。

南海電鉄「差別の意図はなかった」発言、マジ絶滅しろ
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161012-00002239-cakes-life

要約すると、
「他人に指摘されて「差別の意図はなかった」と弁解する人たちが多すぎる。自分を正当化することよりも、傷つけてしまった相手の痛みをどうするかを考えてほしい」ということです。

南海電鉄の件では、わたしはどちらかというとアナウンスした車掌さんに同情的な立場なので、巷の同志(ネトウヨ)たちはこのエッセイをどう批判しているだろうかと興味津々でコメント欄を覗いてみました。
がっかりしました。

tai***** | 2016/10/12 18:29
何だこの文章は、他をとやかく言えるレベルか?

pse***** | 2016/10/12 18:23
中身云々は置いといて、ブログじゃないんだから書き方考えなさい

mam***** | 2016/10/12 18:27
これほど読む価値のない魅力のない書き方ってあるんだなーと思ってしまうような文章でした。

*a*** | 2016/10/12 18:44
まずは貴方が絶滅して欲しい


などなど、文章の書き方に文句をつけてる人たちがほとんど。
個人的には、牧村さんの文章はずいぶんくだけた感じではあるけれど、エッセイならばむしろ上手な部類だと思います。
コメント欄で文句をつけている人たちは、癪に障るけど論旨についてはどう否定していいか分からないから、とりあえず罵声を浴びせたり文章に難癖つけてる感じ。
こういうレベルの低い反応が日本の立場をますます悪くするっていう大口歩也さんの嘆きには同感ですね。

コメントの中で唯一、わたしが共感したのがこれ。

ugg***** | 2016/10/12 18:50
今、脳内シミュレーションしてみたけど
クレーム客からせっつかれて、
英語が喋れない車掌が
日本人客にも気を使い、外国人客にも不快感を与えないよう、車内放送らしい言葉で即興で喋るのって結構大変だぞ
差別意識なんか無くて単に上手い言葉のチョイス出来なかっただけの人を追い込むヤツって想像力無さ過ぎだろ



そうなんですよね。牧村さんは、このコラムを書く前にどれほど車掌さんの立場になって考えたのでしょうか。

車掌さんが問題のアナウンスをしたのは、車内で乗客の一人が「外国人が多くて邪魔だ」と大声で言ったのがきっかけ。トラブルを事前に避けるため、その大声客を含め、不満を抱えているかもしれない不特定の(日本人)乗客の気持ちをなだめようとしました。その結果が

2016年10月11日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20161011/k00/00m/040/058000c

「本日は多数の外国人のお客さまが乗車されており、大変混雑しておりますので、日本人のお客さまにはご不便をおかけしております」という内容のアナウンス


だったわけです。

このアナウンスのどの部分がどういう理由で差別認定されるべきなのか、きちんと説明できる人がどれほどいるでしょうか。
少なくとも、このエッセイの中にそれらしき部分は見当たりません。
謝罪した南海電鉄側は「日本人でも外国人でも、お客さまに変わりはない。区別するような言葉はふさわしくない」と話しているそうですが、じゃあ乗客を性で「区別」して女性専用車両を設けるのはなぜ問題ないの? という素朴な疑問が湧いてきます。

「~~のためご不便をおかけしております」というフレーズは公共交通機関のアナウンスで日常的に使われているもの。例の車掌さんも、気が立っている一部の乗客をなだめたい一心で、使い慣れた言い回しを何気なく口にしてしまったのでしょう。
おそらく車掌さんは日本語しかしゃべれませんから、当然アナウンスは日本人乗客に向けたものになります。あえて「外国人」を強調したのは、「外国からのお客さまは日本に不慣れですから配慮してあげてください」という、おもてなしの精神を日本人乗客に求めようとしたものである可能性が高いでしょう。

このように想像力を働かせれば、常識的な人間ならあのアナウンスを問答無用で差別的と決めつけることに躊躇するはずです。
女性専用車両が「社会的弱者である女性を守るため」と正当化されるなら、あのアナウンスだって「日本に不慣れな外国人に対して日本人客の配慮をうながすため」という釈明が認められるべきでしょう。

…そんな解釈は車掌に好意的すぎる?
好意的でなぜ悪いんですか。最初から非好意的な先入観に基いて他人を差別主義者と決めつけるほうが、よっぽど重大な人格攻撃です。

でも、牧村さんは批判の手を緩めません。

今回の南海鉄道の件に関しても、「空港に向かう外国人客の荷物が大きくて邪魔だっていう実態を知らずに差別とか言うな」って車内写真をネットに上げている人がいたけれども、本当に無自覚だなあと思う。「荷物が大きい人が邪魔」という現実を「外国人客が邪魔」って色眼鏡で見てしまう、「すみませんが少し場所をあけてくれませんか」という対話すら試みず相手を見た目で判断しひとまとめにして「外国人客が邪魔」と晒したり叫んだりする、そういう自覚されがたい色眼鏡を私は、差別意識と呼ぶ。



この指摘は、最初に車内で「邪魔だ」と大声を出した乗客に対してはアリですが、車内アナウンスに対してはあたりませんね。混雑している列車全体をコントロールしなければならない車掌さんに個別対話を求めるわけにはいきませんから。
大きなスーツケースがひしめく車内の写真を見れば、地元の乗客がストレスを感じるのは無理のないことですし、事態をなんとかしたいと車掌さんが焦るのも当然だと感じます。
車内で「外国人は迷惑だ」と言い放った乗客は批判されても仕方ありませんが、それを穏便になだめようとした車掌さんも一緒くたにするのはかなり乱暴じゃないでしょうか。

牧村さんは、"「差別の意図はなかった」コレクション2016"として、南海電鉄のほかに志布志市のウナギ少女動画、中国の黒人洗剤CMなど3件の事例を列挙して「もっといっぱいあるけどなんか、もういいよね、という気持ちになる。」としています。
よくないですねえ。なぜ直近でもっと大きな話題になった「ワサビ」と「キム・チョン」騒動を挙げないのか。

市場ずしの職人に悪意がなかった可能性が高いことは、すでに本ブログでも指摘しました(過去記事)。
阪急バスの件では、乗車券を発給した若い女性職員は「チョン」を差別語だと知らなかったと証言しているとのこと(こちら)。

彼・彼女らの弁解すらも、牧村さんは「そんなものは保身だ!」と切り捨てるでしょうか。
そうですね、テレビ朝日の羽鳥慎一アナは切り捨てましたね。

Kstyle 2016年10月07日
http://news.kstyle.com/article.ksn?articleNo=2054202

羽鳥アナが韓国人への差別発言に苦言「受け手側が感じたのならそれは差別」

チケットを販売した阪急バス側は、「(販売した社員は) 差別的に使用されるこの言葉の意味を知らなかった。また、たくさんの人を相手にするため、当時のことが思い出せないと話した」と立場を明かした。

今回の韓国人差別ニュースと関連し、羽鳥アナウンサーは「もし、社員に悪意がなかったとしても、それを相手が(差別と) 感じたなら、それは差別だ。気をつけた方がいい」と注意を促した。



すいません、ちょっと意味わかりません。気をつけるって、どこをどう気をつければ良かったんですか?
日頃から差別用語の知識習得に励むべきだったとでもいうんですか?

牧村さんはエッセイでこう畳み掛けます。

「差別の意図はなかった」っていうアレ、まじで、絶滅熱望。

傷つけちゃった相手じゃなくて、自分自身の保身に走る。「差別の意図はなかった」っていうアレは、まさにそれにすぎない。

「いじめじゃなくてかわいがり」
「パワハラじゃなくて愛情表現」
「虐待じゃなくてしつけ」
「暴言じゃなくていじり」

このへんの延長線上に、「差別の意図はなかった」がある。これらはみんな、「自分はこういう気持ちだったんですぅ」っていうアピールに走り、「傷ついたならごめんね☆」と謝るフリをしながらも相手のせいにする態度であると、私には思える。



暴力や暴言が行われていた事例を勝手に「延長」し、些細なミスや不幸な行き違いである可能性が高い事例まで「これらはみんな~~」と決めつける。これじゃあ、一部の犯罪者をあげつらって在日コリアン全体を叩くネトウヨと同類じゃないですか。

差別に敏感な人たちって、往々にして無神経&理不尽ですね。
「ワレワレは正義である、よって、なにが正義かはワレワレが決める」
「悪意のある奴はけしからん。悪意のない奴はもっとけしからん」
って臆面もなく言えちゃうんですから。

この手のバッシングは、企業相手に行われることが多いのも特徴です。企業はお客さま相手の商売ですから、文句をつけられたらとりあえず謝罪するしかありません。釈明はできても反論はほとんど許されません。
しかもサヨク的価値観でいうと、企業は"弱者を搾取し富をむさぼるブルジョアジー"ですから、叩く側は「お客様」「被害者様」「強きをくじく正義の味方様」という、三重の座布団の上にあぐらをかいて、左うちわで相手を叩くことができるのです。

「傷つく人がいることを想像しろ!」と叫ぶくせに、世間から叩かれて傷ついている真面目な労働者がいるかもしれないという想像は一切なし。そんな無神経な人たちに、他人を糾弾する資格があるんでしょうか?

「誤解を招いたなら陳謝する」とか「お騒がせして申し訳ない」といった言葉は、たしかに心からの謝罪とは言い難いところがあります。「あんたたちが勝手に誤解した」「世間が勝手に騒いだ」という裏の含意があるからです。
誰が見ても真っ黒なのに、こうした「謝罪もどき」で切り抜けようとする人や組織が多いことは事実。
一方で、ほとんど白に近いグレーなのに世間から猛バッシングを受けるケースだって少なくないわけで、その場合はこういうレトリックが「落としどころ」として機能します。
なぜ日本では、こんな奇妙な謝罪表現が発達したのでしょうか。その背景には、日本を支配する2つの暗黙のルールがあると思います。

1.非があるとされた側は言い訳(弁明)が許されない
2.事実関係はともかく、形だけでも頭を下げれば許される

弁明・釈明が嫌われる社会ですから、どちらに非があるかを決定するのは事実関係よりも場の空気。要するに、論争を嫌い表面的な和を尊ぶ日本人の価値観が反映されているのです。
接客業の現場で「ご不便をおかけしています」という言い回しが安易に使われているのも、牧村さんが「つべこべ言わずに無条件に謝れ、皆がそうすればハッピーになれる」と平気で言ってしまうのも、こうした伝統的価値観にどっぷりハマっているからじゃないでしょうか。

残念ながら、こうした日本的価値観は人類普遍のものではありません。むしろ世界ではマイナーな部類でしょう。日本人の中にだって相手を謝罪させることそのものに喜びを感じるモンスタークレーマーがいますし、海外には隙あらば日本人に「差別民族」のレッテルを貼りたがる人たちが多く住む国もあります。
日本的な「和」を尊重しない相手に安易に謝ればどうなるか、われわれネトウヨはその恐ろしさを痛感しています。

しかも、上記の2つのルールは相互補完関係にあるのに、牧村さんは1だけを肯定し2を否定しています。言論封殺社会の息苦しさを緩和するための潤滑油――レトリック的謝罪を全否定するのは、日本社会が必死で保とうとしている「和」を破綻させる自殺行為です。

差別を憎むのはけっこうですが、相手の釈明を「絶滅」させようとするのは暴力です。潤滑油にまみれたネトネトの世間が気に食わないなら、むしろ存分に相手に釈明させたうえで、その釈明のどこが論理的・倫理的に間違っているかを指摘し、完膚無きまでに論破することこそ、公正な態度ではないでしょうか。

・・・なんてのは、ほとんど中島義道の本に書いてあることなんですけどね。
『私の嫌いな10の言葉』
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テーマ : 差別問題
ジャンル : 政治・経済

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