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「点と線」―日韓比較文化論

韓国は点であり、日本は線である

1.「点」としての感情vs「線」としての論理

自己の感情を重視する韓国
 感情は個人的なものであり、つねに変化する刹那的なもの(=点)なので一貫性に欠ける。感情の共有は点と点を重ねるようなもので、よほど価値観を共有した相手とでなければ、完全な一致を図るのは至難の業である。
 利害が対立する場合、韓国ではお互いの感情をぶつけあうので、妥協点を探るよりも声の大きさや粘り強さで相手を圧倒しようとする(声闘)。明確な反論や批判がなければ自分の勝利とみなすため、相手が面と向かって反論・批判しにくい道徳論で攻撃したがる(対日歴史認識問題が典型例)。
 今も昔も、韓国では声闘により上下関係(序列)を決定し、固定化することで社会秩序を保ってきた(李氏朝鮮時代の朱子学、現代のカプチル(甲乙)、ランキング好きな国民性)。そのため封建的な価値観(男らしさ、女らしさ、家父長の権威など)がいまも根強く残る。こうした負の側面が目下の者への冷酷性となって現れるため、冷戦終結後も左翼運動が健在である(従北派)。

集団の論理を重視する日本
 日本は、自集団の平和的維持を至上の価値とする。そのために明文もしくは暗黙の法を作り、全員が周知徹底することを望む。法が共有されるためには、前例や実情、論理などによる正当性の裏付け(権威化)が必要なので、法が簡単に変化することはあり得ない。「平和憲法」が長らく改正されない理由もここにある。
 個人という「点」を無理に重ねるのではなく、一定の法則によって線(集団)に結ぼうとするのが日本社会である。
 そのため、日本人は線列を乱さないように努力し(遵法精神)、他人の意向を気にし(思いやり、忖度、根回し、アンケート好き)、その場の「空気」に敏感になり、抑制的な態度をとり(引っ込み思案)、本音と建前を使い分け、他者にも同様の姿勢を求める(マナーの重視)。
 「みんなのために」「おかげさま」「お騒がせしてすみません」といった言葉が使いまわされる。
 そうした行動がとれない人間は「恥知らず」と軽蔑され、村ハチブにされる。
 日本人は穏やかで礼儀正しいが、列に並ばない相手には冷酷に振る舞う場合がある。
 直線は、起点と方向が与えられることでベクトルとなる。力強く進み敵を射抜く鋭い矢である。


2.「点」としての瞬発力vs「線」としての忍耐力

矛盾を気にしない韓国の刹那主義
 韓国では刹那の感情が最優先なので、過去の自分との整合性・連続性に興味がない。柔軟な判断によりその場その時に最大利益を獲得することが理想(パリパリ精神)のため、歴史歪曲、強引な起源主張、誣告、虚言、整形などに罪悪感が薄い。
 時代によって価値観が変わるので老舗が育たない。変化に順応しやすく波に乗りやすい一方で、扇動されやすく、未来に向けて綿密に準備したり計画したりすることは苦手(危機管理不足→頻発する大規模人災)。
 日本やアメリカが敷いたレールの上なら威勢よく邁進できるが、近道をしようとして脱線することもしばしば(マニュアルに従わない、真似や剽窃に走る)。
 変化をいとわないので、政権も政党名も憲法もコロコロ変わる。選挙で破れた前政権勢力に対しては容赦ない積弊清算が行われる。「いずれ我が身」などと考えて自制することがないので、怨恨が連鎖する。

惰性を許容しがちな日本の「細く長く」的価値観
 日本社会は、集団の和を乱すような変化を嫌う。長く安定していることが徳なので、「その道一筋」の専門家や老舗が尊ばれる。個人は自分の感情を殺して家業や組織の維持を優先する。役割を終えた組織や惰性な会議がいつまでも続く。一度放たれた矢は、自分の力では止まれない。
 長く続く間に洗練されて個性が磨かれていく一方、形式化・硬直化・ガラパゴス化の危険もはらむ。新参者や突出者を拒む傾向があり、イノベーションをリードする力はアメリカなどと比べると弱い。ただしコツコツと粘り強いため基礎研究は強い(ノーベル賞)。


3.同情を求める韓国vs信頼を得たがる日本

韓国式「無節操な被害者面」の背景
 感情論のぶつかりあいは客観的なジャッジが難しい。よってライバルと力が拮抗する場合は、より上位の者を後ろ盾にして、その権威で相手を圧倒しようとする(事大主義)。民主主義の下では国民が最高の権威者なので、世論の共感を得るために、自分の不幸や被害を強調して訴える「被害者面」が常套手段となる。他者の感情に訴える技術に長け、これが韓流やプロパガンダにつながっている。
 一方、連続性や整合性を重視しないので、相手を悪し様に批判しながら、同時に援助を求めたりすることにもためらいがない。むしろ、批判によってマウンティングに成功すれば、相手にさまざまな要求を突きつけるのが当然の権利だと考える。
 相手を声高に批判するデモはストレス解消になるので大好きだが、自制が必要になるボイコットは長続きしない。そうした姿が日本人の目からは「無節操」と映る。

日本的「ことなかれ主義」の危うさ
 日本人は、和を尊ぶので場を騒がせるような自己主張をしたがらない。相手から非難されてようやく論駁する場合でも、感情を抑えて理詰めで説得しようとするので回りくどい。議論の応酬よりも、日頃からの信頼関係で仲間を増やしておくことが大事と考え、国際貢献に熱心に取り組む(ODA、サッカーW杯のごみ拾いなど)。よって国際社会での評判は悪くない(各種国際世論調査)。
 必然的に自己主張のスキルが弱いので、自論が通じないと判断すると、「負けるが勝ち」「分かる人は分かってくれる」などと自分に言いきかせて形式的な負けを受け入れるか(一部サヨクが典型的)、相手のすべてを拒絶し交渉を絶とうとする(日韓断交を主張する一部ウヨクが典型的)。
 いずれにせよ、相手への不満はくすぶり続けるうえ、反論・抵抗をあきらめて引きこもる態度が恭順と誤解され、根本的解決がされず問題が長期化・悪化するリスクがある。


4.点として凝縮したがる「ウリ」vs線の完結形としての「ワ」

 線は伸びたがり、繋がりたがる。その理想形が輪(=和)すなわち円である。円は中心から一定の距離を保った点の集合体である。円心は決して円周と重ならない。すなわち、日本の和が保たれているのは、国民とは異なりながらも、国民の中心に存在し続ける存在の求心力による。
 求心力のバランスが崩れ、中心点からの距離がバラバラになれば円は歪み、最悪の場合は断線しかねない。よって個々人は集団の和を保つために一定の距離感を重視する。日本の国旗が赤い円であることは象徴的である。

 一方、点はそれ自体が最小単位なので、距離や断線などは最初から心配する必要がないかわり、広がりに欠ける。若者の価値観が高学歴や高収入などの一点に集中するため、落ちこぼれはチキン屋となって消えていく。
家族や友人など、価値観を共有できる人間を「ウリ」として取り込むことで自意識は拡大する。しかしあくまでゼロ次元が基本なので、ウリ内部では自他の区別がない。ブラックホールのように濃密な関係を求めるために距離感に疎く、ウリとナムの境、公私の境は不確定性原理なみに曖昧である(汚職の温床)。陰陽が中心に向かって渦を巻き、混然一体となろうとする太極図が韓国旗に採用されている事実は象徴的である。
 砂粒に水を混ぜて固めれば小石か泥団子くらいにはなるだろうが、それを転がらないようにまとめるには積み重ねる必要がある(階級社会)。その頂点に立ち、権力を一手に握るのが大統領だが、彼自身が既存の積み重ねを「積弊」と呼んでぶち壊すので、たとえ塵埃が「さざれ石」になれたとしても巌に成長することはなく、永遠に砂上の楼閣、というより賽の河原である。


5.Q&A

Q.日本は伝統を重視し変化を好まないというが、敗戦を境とした変わり身の早さをどう説明するか?

A.オセロの玉が一気にひっくり返るのと同じ。ツルを引っ張れば芋が全部抜けるのと同じ。戦争に負けても、国民を束ねる紐帯だけは守り通した。求心力さえ維持されていれば、中心点の移動にともない円全体が大きく動くのは必然である。

Q.韓国が刹那主義だとすれば、大使館前の水曜集会など日本への抗議が飽きずに続いているのはなぜか?

A.つねに感情対立をはらむ韓国社会において、反日感情はほぼ全員が共有できる貴重な「財産」である。それは3つの比喩で表現できる。
 ①人間が空腹を満たすために毎日飽きもせず飯を食うのと同様、韓国人は反日に没頭することで自分たちの感情的飢え(=恨?)を満たし、国家エネルギーを自家生産できる。
 ②日本という物差しを使うときに限り、韓国は自分たちの「点」の位置を確かめ、それらを一カ所に重ねることができる。レーザーを一点に集中させれば、鉄を焼き切ることができるのと同様、反日は韓国に大きなエネルギーを発揮させるのだ。
 ③韓国民という砂利に民族主義という消石灰を加え、日本という水を混ぜてこねれば、強固なコンクリートができあがる。その土台の上に建っているのが韓国という国家である。
 じつはこの土台こそが最大の設計ミス=積弊なのだろうが、家に住む子どもは目の前の積み木は崩せても、足の下にある床や基礎まではぶち壊せない。子どもは家の耐震性などに興味はない。

Q.なぜ日韓はいがみあうのか?

A.「点と線」をキーワードに縷々たとえ話をしてきたとおり、日韓は価値観や倫理観が大きく異なる。かつては皮肉にも凸と凹がうまく噛み合っていたが、東西冷戦の終焉、韓国内での民主主義(ポピュリズム)の浸透、国力差の縮小による両国の民族主義台頭などにより、対立が表面化した。
 アメリカに殴られて「凹」んでいた日本が、内圧に押されて「口」に戻ろうとしている。一方の韓国は、「凸」がさらに先鋭化して「△」になりつつある。「△」は必死で「口」を突ついて凹に戻そうとするが、相手のかたちをよく見ずにやみくもに突きまくるため、日本まで「凸」になりかねない状況。両国の衝突により、先に韓国の角が削られて「○」さらには「・」になってくれるとありがたいものだが。

Q.この先、日韓関係はどうなるのか?

A.北東アジアが平穏なら、日韓はこのまま静かにいがみあいが続くだろう。双方に多少の「反発疲れ」が生じたとしても、韓国経済が悪化すれば、韓国政府は国民の不満のはけ口としてますます反日を利用するだろうし、逆に韓国経済が好転しても、自信をつけた韓国はますます日本を見下し高圧的になるだろう。幸運にも南北統一が実現した場合、統一コリアは日本に対して堂々と戦後賠償の「おかわり」を要求するだろう。
 一方、中国が台湾併合に向けて実力行使を図ったり、北朝鮮が核実験やミサイル実験を再開させたりするようになれば、日本の「凸化」が大きく進行する。そのとき韓国は、日米勢力と中朝勢力のどちらにつくかを迫られることになる。
 歴史に鑑みれば、韓国はどっちつかずな態度を維持して両陣営から利益を得ようとするに違いない。その利益とは、米中双方からの軍需獲得、自国の核武装化、日本の弱体化などである。しかし歴史が繰り返されるとすれば、両陣営から恨まれてむしろ災いを呼び込むのが半島のお約束である。
 また、より大きな可能性として、深刻な経済危機に陥った韓国が、日本からの支援ほしさに反日自粛に転じることも考えられる。そのとき日本が支援に応じるかどうかは、現在の日韓間の諸問題がそれまでに解決されているかどうかにかかっている。

 さらに、事故や事件、災害などの突発的リスクも大きな変数となるだろうが、いずれにせよ、韓国によほど大きな災厄が降りかかって日本の助力が必要にならない限り、日韓関係が好転することはないだろうし、たとえ一時的な関係改善があり得たとしても、それは問題の先送りにしかならないだろう。


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以上、長々と書いてしまいましたが、要するに「韓国人の自己中は別次元だ」と言いたいだけです。
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ジャンル : 政治・経済

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