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翁長のちゃぶ台返しを支持する人は安倍の憲法解釈に文句を言うな

 ちょっと前のニュースで「なるほどなー」と笑ったのがこれ。

2015.9.7 産経ニュース
http://www.sankei.com/politics/news/150907/plt1509070006-n1.html

沖縄・翁長県政ますます迷走 承認取り消し主管部署さえ決まらず

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設で、辺野古の埋め立て承認の取り消しを主管する部署をめぐり同県が迷走していることが6日、分かった。翁長雄志(おなが・たけし)知事が承認を取り消し、政府との訴訟に発展して敗訴すれば職員が責任を問われかねないとして関係部署が主管を押し付け合っているため。取り消しありきの姿勢の翁長氏と県職員に温度差があることが浮き彫りとなった。
・・・
 翁長氏は6月に部にあたる知事公室に辺野古新基地建設問題対策課を新設。取り消しを主管する部署は移設阻止の取り組みを一元化する課として同課か、有識者委の事務局を務めた総務部行政管理課になるとみられていた。しかし、知事公室長と総務部長は8月中旬になって、公有水面埋立法を所管し、埋め立て承認の審査も行った土木建築部海岸防災課が主管するよう主張。土木建築部は「審査に瑕疵があったとは認められない」との立場で、取り消しの手続きに加わることに抵抗感が強い。

 埋め立て承認の取り消しは辺野古移設阻止を掲げる翁長氏の公約に沿ったもので、基地問題を担当する知事公室が責任を持って所管するのが筋とみられ、土木建築部に押し付けるのは「有識者委の報告書が政府との訴訟に勝つための論拠にならないと危惧し、責任を回避しようとしているためだ」(県幹部)との指摘がある。


 知事の公約を実現するためとはいえ、振り回される県職員はたまったものじゃありませんね。田中康夫時代を知る一長野県民としては、同情を禁じえません。
 翁長知事が諮問した第三者委員会の報告書を読むと、「疑問がある」「問題がある」「したがって誤りである」といった言い回しがたくさん出てきます。細かい理屈は理解できてませんけど、どうせみんな「法解釈の相違」レベルの問題でしょう。前の仲井真知事だって政府相手にギリギリまでゴネてたんですから、誰の目からも明らかな瑕疵があればそれを放置するはずがありません。
 たぶん、これだけ重箱の隅をつつくような検証をやったら、県が下したほかの事業許可も軒並み不法判定されるんじゃないでしょうか。もし裁判になったらそういうところも争点になるでしょう。

 裁判に勝っても負けても、県側に誤りがあったと正式に認定されてしまう皮肉。許可に従って工事を進めてきた政府は、県に対して相当な賠償を請求する権利を持つことになるんでしょう。日本の国防政策を停滞させ、日本国民に不安を与えた県の責任も追及されてしかるべきです。国家の安全、国民の安心というモノをどうやって金額に換算するのか想像がつきませんけれど、かなりの額になるでしょうね。

 仲井真前知事が辺野古埋め立てを承認したのは2013年12月。あれからまだ2年も経っていません。翁長知事のやっていることは「法の安定性」を著しく損ねる行為なわけですが、サヨクの皆さんはこれを容認どころか大歓迎しているようです。
 でもこの態度、サヨクさんたちが安保関連法案をめぐって政府を批判するときの主張と矛盾してませんか。

09月13日(日) 信濃毎日新聞社説

安保をただす 参院審議 「決める時」という独善

(一部引用)
<「違憲」法案の無理>

 政府はそもそも、憲法に反するとの指摘に説得力のある反論ができていない。政府内で憲法解釈を担った内閣法制局長官OBや大多数の憲法学者が批判している。土台、無理のある法案だ。

 昨年の閣議決定は、集団的自衛権を行使できないとした1972年の政府見解を引きつつ、安保環境の変化を理由に結論をひっくり返した。「基本的な論理は変わらない」とするものの、元法制局長官の宮崎礼壹氏が言うように「黒を白と言いくるめる類い」だ。

 元最高裁長官の山口繁氏も法案を憲法違反と断じている。「72年見解が誤りだったと位置付けなければ論理的整合性は取れない」と批判する。政府は「現役を引退した私人の発言にコメントすることは差し控える」とし、耳を傾けようとしない。


 要するに、安倍内閣が「1972年の政府見解は誤りだった」と位置づけさえすれば、論理的整合性はとれてしまうわけですね。
 …だったらやればいいのにねぇ、安倍さんも。
 翁長さんは先代知事がほんの2年足らず前に行った法解釈が誤りだったことを堂々と認めたのです。それが許されるのなら、40年以上前、首相でいえば17代も前の「政府見解」「法解釈」を金科玉条のごとく崇め奉らなければならない理由がありません。見解とか解釈とかいうものはたんに「オレたちはこう思う」ってだけで、法律でも判決でもないんですから。
 いまの安倍内閣は72年見解について「誤りだった」と断ずる代わりに「変容する安保環境に対応できなくなった」と優しく表現していますが、実質的には似たようなものです。
 サヨクのみなさんはきっと「翁長さんは沖縄県民の支持を得てる。かたやアベの戦争法案は国民の多くが反対している」と反論するかもしれませんが、ここで問題にしているのは論理性ですから国民感情は関係ありません。それに世論の支持さえあれば法律なんかどうとでもなるという考えは法治主義の否定であり、信毎などサヨクメディアがいつも言う「数の暴力」そのものです。

 現行憲法が施行されてはや68年。この間に歴代内閣の憲法解釈がすでに大きく変化してきたことは周知の事実です(詳しくは首相官邸が掲載しているPDF資料をどうぞ→こちら)。
 吉田茂首相は1946年の国会答弁で、いまで言うところの個別的自衛権すら否定しました。「個別的自衛権は合憲だが集団的自衛権は認められない」とする72年見解と真っ向から矛盾します。
 いまでは個別的自衛権を違憲とする声はサヨク野党の中にもほとんどないようですが、46年の吉田答弁がダメで72年の政府見解はヨシである法的根拠は何なのか、素人のわたしにはさっぱり分かりません。
 個別的自衛権を容認する人たちは、吉田首相のあの答弁は誤りだったと認めるのでしょうか。いや、おそらく彼らの多くは「時代が変わったのだから仕方ない」と答えるでしょう。
 実際、吉田首相は日本に自衛権を認めてはいけない理由を「日本が好戦国であるという誤解を解くために必要だから」と説明しています。つまり吉田首相も当時の安保環境に即して憲法を解釈し発言していたわけです。

 いまや日本を好戦国と疑う国はほとんどありません。特亜3国のねじけた日本観は国際社会から受け入れられていません。
 一方で米国の軍事力は相対的に低下し、米国国民の意識も「冷戦時代じゃあるまいし、なんでオレたちがわざわざ血を流してまで日本を守らなきゃいけないんだ?」というシビアな目線に変わりつつあります。
 いざというときに米国を助けなければ、いざというとき米国に助けてもらえないかもしれない――となれば、集団的自衛権が「必要最低限の自衛権」の範囲と重なるのは自然なことです。いまは険悪な日韓関係も、第2次朝鮮戦争で日本が積極的に集団的自衛権を行使してあげれば、韓国は泣いて喜んで日本と仲直りしてくれるかも☆

 気味の悪い冗談はさておき、「時代が変わったから」という理由で46年答弁を無視できるのなら、同じ理由で72年見解を上書きすることだって可能なはず。礒崎陽輔首相補佐官が述べた「法的安定性は関係ない、わが国を守るために必要な措置かどうかを気にしないといけない」という率直な発言に、わたしは共感します。日本政府は生き馬の目を抜くような国際社会の中で、シビアな駆け引きをしなければならない立場。それに厳密な論理性を要求するのは、場合によっては日本の国益を損ねる自滅行為になりかねません。

 野党のみなさんが政府の解釈改憲を本気で止めたいのなら、安保関連法案を否決しても安倍政権を倒しても、根本的な解決にはなりません。必要なのは強引な解釈の原因となっている浮世離れした憲法を直すこと、解釈の余地を与える曖昧さを条文からできる限り排除すること(諸刃の剣ですが)。
 憲法改正は国会の仕事なのに、サヨク野党は義務を放棄して外のデモで騒ぐだけ。安倍首相よりもずっと露骨で感情的な翁長知事のちゃぶ台返しに喝采を送り、結果として中国や北朝鮮を喜ばせるだけ。

 そもそも、「戦争法案は廃案しかない!」って叫んでる野党が、同じ口で「政府の説明は不足している!」「審議が不十分だ!」と主張するのっておかしくないですか。廃案しかないんなら説明も審議も必要ないじゃないですか。
 信毎の社説も「政府は法案を撤回し、国民的な論議を一からやり直すべきだ。」と締めていますが、国会審議すらこれほどグダグダなのに国民的議論なんかできるんですか。サヨクの皆さんの多くは「9条を守れ」「戦争反対」「米国の言いなりになるな」etc、感情的かつワンパターンなシュプレヒコールばかりで、われわれウヨクとはちっとも話が噛み合いません。

 わたしとしては、強行採決だろうが60日ルールだろうがさっさと決めてほしいですね。で、法改正によって明らかに日本の国益が損なわれかねない状況が到来したら、そのときは有権者もしくは裁判所の審判を仰げばいいじゃないですか。それが民主主義ってもんです。
 ま、裁判所に訴えたところで、また統治行為論でお茶を濁される可能性は高いでしょうが、少なくとも辺野古裁判の翁長知事や前支局長裁判の朴槿恵大統領みたいに「判決がどっちに転んでも悲惨」という事態にはなりにくいでしょう。

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ウヨクは沖縄県民を信じているがサヨクは日本国民を信じていない

 「沖縄の2紙はつぶさないといけない」騒動の件。整理しておきたいのは、ここで非難されるべきなのは講師の百田尚樹氏よりも「懲らしめないといけない」発言をした大西英男氏ら自民党議員であることです。
 百田氏はすでにNHK経営委員などの公職を離れており、名実ともに一私人。彼が毒舌家としてサービス精神w旺盛なのは周知の事実ですから、いまさら彼を批判してもほとんど無意味です。マスコミや野党もそのへんは承知しているようで、彼らの関心は今回の問題をいかに政権批判につなげるかに集中しています。

 それにおかまいなく百田氏を個人攻撃しているのがリテラ。

百田尚樹は『ナイトスクープ』時代から杜撰でテキトーだった…プロデューサーが証言!
http://lite-ra.com/2015/07/post-1237.html

 約四半世紀も前の話題を持ちだして、"百田くん"がいかにダメ男かを嘲笑しています。

 このように、百田尚樹として認知される以前の“百田くん”とは、会議中に手品の練習をして顰蹙を買ったり、いいかげんな地図をつくって放送にのせちゃったり、勉強もしてないのに持論を炸裂&断言を繰り返したりと、“調子にのったらタチが悪い、困ったオッサンあるある”に数えられるような人物だったのだ。そこから成長もなく、ただ増長し、わずかにあった愛嬌さえ失ってしまった……それが現在の姿なのだろう。


 わたしは『全国アホ・バカ分布考』を読んでいませんが、記事に引用された部分を読む限り、著者の松本修プロディーサーがネタもしくはシャレとして"百田くん"をイジっているのは明白です。それを大真面目に人格批判に使うリテラのやり方は、あまり利口とはいえません。いわゆるリベラル派はお行儀のいい人たちが多いですから、こういう個人攻撃は嫌悪されるんじゃないでしょうか。
 まあネトウヨのわたしが心配することでもありませんし、むしろサヨクのみなさんが感情的になるのを見るのは楽しいので、リテラにはこれからも頑張ってほしいものです。

 百田・長尾・大西氏らの発言からは、彼らが
「沖縄の人たちはサヨクメディアに洗脳されている」
「洗脳が解ければ辺野古移設に賛成してくれるに違いない」
 と信じていることがうかがえますが、この認識ははっきりいってオメデタイ考えだと思います。沖縄の世論調査や選挙結果を見ても、辺野古移設反対!米海兵隊は出ていってほしい!というのが過半数の沖縄県民の意見でしょう。知事やサヨクメディアを潰したところで、沖縄県民の反米・反安倍感情は消えませんし、そんなことをしたらむしろ火に油を注ぐことになります。
 サヨクメディアを潰したければ、対抗馬となりうる保守派のメディア・言論をいかに沖縄で育てるかを論議すべきでしょう。
 護憲派のカリスマの一人である内田樹氏はブログにこんなことを書いていました。

内田樹の研究室
言論の自由について再論
http://blog.tatsuru.com/2015/07/01_1542.php


今問題になっているのは、「国民は長期的・集合的には必ずや適切な判断を下すだろう」という「国民の叡智」に対する信認の存否である。
いくつかの新聞を挙げて「つぶれた方がいい」と言った人間はその新聞の読者たちに向かって「おまえたちは新聞に騙されているから、間違った判断を下すだろう」と言っているのである。
「私が代わりに判断してやるから、お前たちは私が『読んでもよい』というものだけ読んでいればいい」と言っているのである。
ここに「理非の判定を下す人々」への敬意を見出すことはむずかしい。
「理非の判断を下す人々」の判定力を信じない人、「自由な言論が行き交う場がなくてはすまされない」とは考えない人たちがいる。
それはしかたがない。
けれども、彼らが「言論の自由」を汚す権利を「言論の自由」の名において要求することを私は許さない。



 これを読んだとき、わたしは「なんかこれ、憲法改正論議と相似形になってるな」と思いました。

改憲問題  沖縄問題
【護憲派の主張】 【大西議員らの主張】
9条を撤廃すると沖縄2紙を潰すと
日本の真の姿が現れる 沖縄の真の姿が現れる
軍国主義の復活 辺野古移設の受け入れ

 ここからわかるのは、沖縄2紙を潰したいと思っている人たちは根っこのところで沖縄県民を「信じている」のに対し、9条を守りたいと思っている人たちは、根っこのところで日本国民(が選んだ政治家)を「信じていない」ということです。
 わたしに言わせれば、前者はただのお人好し。後者は…どんな表現がいいですかね。ひねくれ者? 人間不信? 性悪説論者?

 「国民の叡智」を信じるのなら、言論の自由だけでなく改憲の自由も認めてほしいものですが、護憲派は国民投票法にすらあれこれ文句をつけています。
 結局のところ、護憲派のみなさんは日本国民に対して、

「おまえたちは政府に騙されているから、9条のタガが外れたら間違った判断を下すだろう」と言っているのです。
「お前たちは私が認めた9条だけを永遠に信じていればいい」と言っているのです。


 違いますかね?
 国民に敬意を払っていないのはどっちですかってこと。

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村上春樹「この世に絶対的な善悪は存在しない。でも日本は永遠に謝罪しろ」

朝鮮日報日本語版 2015/04/18
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/04/18/2015041800658.html

村上春樹氏「日本は相手国が納得するまで謝罪すべき」

「相手国が『もういい』と言うまで謝り続けなければ」

 「相手国が『きれいに解決というわけではないが、それだけ謝ったのだからもういいよ』と言われるまで、謝り続けるしかないのではないか。謝罪するということは決して恥ずかしいことではない。細かい事実がどうだというのはともかく、日本が他国を侵略したという大筋は事実なのだから」

 ノーベル文学賞候補に毎年挙げられている日本の人気作家、村上春樹氏が17日、東京新聞との単独インタビューでこのように述べた。最近、日本社会の内部で「自分が生まれるよりも前の植民地支配やアジア侵略について、日本は一体いつまで謝り続けなければならないのか」という不満が高まっていることに対し、「相手が納得するまで」という答えを示したのだ。

 この日のインタビューで村上氏は、最近の韓国と中国・日本の関係について「今、東アジアには大きな地殻変動が起こっている」と指摘した。「日本が経済大国で、中国や韓国が開発途上国だった時代には、このような問題が抑えられていたが、中国や韓国の国力が増大した後、このような構造が崩れ、封印されていた問題が噴出するようになった」というわけだ。その上で「相対的に力が弱まった日本としては、自信を失った側面があり、そのような展開を率直に受け入れられない状況に陥っている。3カ国間の対立が鎮静化する前に、一波乱が起こるだろう」と主張した。また「東アジア文化圏にはとても大きな可能性があり、市場としてもとても大きく良質な市場になるはずだ」と強調し「互いにいがみ合っているようでは、いいことはない」と述べた。

東京=金秀恵(キム・スヘ)特派員


 この記事では「東京新聞の単独インタビュー」とありますが、信濃毎日新聞でもいまちょうど共同通信の配信で「村上春樹さん、時代と歴史の物語を語る」という短期連載が行われています。
 2015年4月18日掲載の<中>から一部抜粋。

村上 先日「アルジェの戦い」という1960年代に作られた映画を久しぶりに見ました。この映画では植民地の宗主国フランスは悪で、独立のために闘うアルジェリアの人たちは善です。僕らはこの映画に喝采を送りました。でも今、これを見ると、行われていること自体は、現在起きているテロとほとんど同じなんですよね、それに気づくと、ずいぶん複雑な気持ちになります。
 60年代は反植民地闘争は善でした。その価値観で映画を見ているから、その行為に納得できるのです。でも今、善と悪が瞬時にして動いてしまう善悪不分明の時代に、この映画を見るととても混乱してしまう。

 ◇ ◇ ◇

 ―「この世には絶対的な善もなければ、絶対的な悪もない」「善悪とは静止し固定されたものではなく、常に場所や立場を入れ替え続けるものだ」。「1Q84」に善悪をめぐるそんな会話があります。動き続ける善悪の世界が描かれるのは村上作品の特徴ですね。

(中略)

 村上 ロジックという枠を外してしまうと、何が善で、何が悪かがだんだん規定できなくなる。善悪が固定された価値観からしたらある種の危険性を感じるかもしれないですが、そのような善悪を簡単に規定できない世界を乗り越えていくことが大切なのです。でもそれには自分の無意識の中にある羅針盤を信じるしかないんです。

 ―村上さんの物語はその闇のような世界から必ず開かれた世界に抜け出てきます。その善い方向を示す羅針盤はどこから生まれてくるのですか?

 村上 体を鍛えて健康にいいものを食べ、深酒をせずに早寝早起きする。これが意外と効きます。一言で言えば日常を丁寧に生きることです。すごく単純ですが。


 なんですかねえ。善悪を固定化することのナンセンスさをこれほど理解している村上氏が、どうして韓国のロジックを無批判に受け入れてしまうのか。

 韓国の反日はまさに「60年代の価値観」にもとづいていますから、彼らにとって日本は絶対悪です。だからアジア女性基金は拒否されたし朴裕河氏の著作は発禁になりました。日韓請求権協定を踏みにじったり、日本の集団的自衛権行使容認を批判したり、対馬の領有権を主張したり、盗んだ仏像を返さなかったり、日本大使館前でのデモ活動を容認したり、日本大使にコンクリート片を投げつけた犯人を野放しにしたり、靖国神社への放火犯を逃したり、天皇をわざと「日王」と呼んだり、教科書に口出ししたり、世界中で旭日旗をおとしめたり――。
 こうした、限りなく内政干渉や敵対行為に近い韓国の行動はすべて、加害者である日本=絶対的悪、被害者である韓国=絶対的善、というロジックが思想的根拠になっています。そしてほんの数年前まで、そのロジックが日本社会をも支配していました。
 近年になってわたしみたいな「韓国嫌い」が増えたのは、この二元論を日本人が信じられなくなったからです。

 「日本国民が中韓を嫌うようになったのは、それらの国々に経済的に追い上げられて自信を失ったから」――そんなカビの生えた印象論をいまだに唱え続けてる村上さんには幻滅です。作家なんですから、もう少しわれわれネトウヨをハッとさせられることを言えませんかね。
 日本の経済成長がストップしたのは1991年にバブルが崩壊してからです。それ以降の「失われた20年」を振り返れば、河野談話(1993)、村山談話(1995)、日韓W杯開催(2002)、冬のソナタブーム(2003)、韓流アーティストの紅白歌合戦最多出場(2011)と、政治も文化も韓国ベッタリでした。
 経済的な自信喪失なんか、全然関係ないじゃないですか。むしろあのころは、自国への自信喪失が「サムスンを見習え!」「韓流に学べ!」といった言論を後押ししてた時代でしたよね。

 一方で、現在の日本人の嫌韓感情が、両国の経済関係とリンクしていることは確かです。ただしそれは、

①十分に経済成長を遂げた韓国にこれ以上情けをかける必要はない
②韓国の経済力も技術力も、じつはそれほど大したことない

 という2つの意識が強く働いているのではないでしょうか。
 傾きつつあるサムスン、パッとしないヒュンダイに、正直いって日本人はほっとしています。さらにスキャンダルや内紛続きで機能停止状態の朴槿恵政権を見ていると、「あんなだらしない連中になぜ我が国が70年も前のことでボロクソに言われなくちゃいけないんだ?」という憤りがフツフツと湧いてきます。それが現在の嫌韓派――ていうかわたしの偽らざる気持ちです。

 混沌から抜け出すには、「体を鍛えて健康にいいものを食べ、深酒をせずに早寝早起きする」ことだと、村上氏は説きます。それを日韓関係にあてはめれば、お互い「強くて健全な国と社会を作る」ことが、両国の不和を乗り越えることにつながると言えるんじゃないでしょうか。

 歴史認識問題でいえば、変なイデオロギーにとらわれず、客観的な事実に立脚することが一番大切ですよね。事実に基づき、謝るべきことは謝るけれど、事実と異なることについてはきっぱりと反論する。それが健全な国家関係のはず。では歴史に対する姿勢では日本と韓国、いったいどちらがより「健全」といえるでしょうか? 両国の歴史教科書が海外でどのように評価されているかをみれば、一目瞭然でしょう。

 わたしがネットや書籍を通じて知る韓国の姿は、村上氏のいう「日常を丁寧に生きる」実践が全然できていない印象です。受験戦争に明け暮れてもろくに就職できず、入社できても早期退職を迫られて慣れない起業で借金まみれ。その挙句が先進国トップクラスの自殺率――そんな社会に生きざるをえないのなら、そりゃあ誰かに八つ当たりしたくなりますよね。マゾ的平和国家ニッポンは、韓国にとって貴重なサンドバッグなのです。

>謝罪するということは決して恥ずかしいことではない。細かい事実がどうだというのはともかく、日本が他国を侵略したという大筋は事実なのだから

 道義的責任という意味では、日本は何度も謝罪しているんですよね。韓国側が「大筋」からさらに踏み込んで、慰安婦の強制連行とか日韓協約の正当性といった細かいことでつっかかり、謝罪だけでなく賠償まで要求してくるから問題がこじれているわけで。

 そういうのをすべて無視して「とりあえず謝っときゃいいじゃん」と気軽に言ってのける朝鮮日報の村上春樹さんは、信濃毎日新聞の村上さんとはまるで別人です。この矛盾をどう理解すればいいのでしょうか。
 メディアの歪曲がないとすれば、要するに村上春樹さんは、韓国に対して本質的なところで知識も興味もない人なんじゃないかと想像します。だって彼、ネトウヨになる前のわたしそっくりですから。
 

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ジャンル : 政治・経済

嵐を覚悟で漕ぎ出すか、流刑地で朽ち果てるか

 2015年1月21日の信濃毎日新聞13面(文化面)に、なぁんか気持ち悪い寄稿文が載っていました。西谷修という大学教授の文章なのですが、以下に全文を引用します。

論考2015
「経済成長」「戦争できる国」めざす政権
貧困化と混迷 重い課題

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西谷修
にしたに・おさむ 哲学者。1950年愛知県生まれ。東京外国語大学教授などを歴任し昨春からは立教大特任教授。専攻はフランス文学・思想。「戦争論」「アフター・フクシマ・クロニクル」など著書多数。
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 「戦後70年」の節目をわれわれは「戦後レジームからの脱却」をめざす政権の下で迎えることになった。「戦後レジーム」とは、敗戦によってできた「非戦」の体制のことだとすれば、それを「脱却する」とはとりもなおさず、戦争の準備をすることを意味する。その変化が加速されようとしている。そんな年の初めにあたって、まずは国の内外の状況を俯瞰しておきたい。

 「経済成長」をうたう安倍晋三政権の政策は、大企業を支援し、株高で富裕層を潤わせるが、企業優遇は雇用や労働の条件を劣化させ、多くの人を恒常的な貧困へと追い落とす。そのしわ寄せは若者や女性に集まり、それが子どもの貧困に拍車をかける。衆院選が終わった途端、法人税減免と生活保護費の切り下げが打ち出された。保護されるのは人ではなく法人ばかりだ。
 福島の避難民の救済や汚染水処理を置き去りにした原発再稼働も、各方面から反対の根強い環太平洋連携協定(TPP)も「経済成長」のためといわれる。だが「経済成長」の追求が、社会を潤さず、むしろ人々を貧困化するのは、いまでは随所に明らかだ。人件費を抑えて競争するグローバル市場の構造と「成長神話」は行き詰まっている。この路線は、つまるところ社会全体に不公正や不寛容をまき散らし、人々を分断して生きにくくさせる。

 安倍政権は「成長」をかざす一方で、もう一つの国家改造を目指している。それは「戦争ができる国」を「取り戻す」ということ、軍事力を背景に国際秩序のアクターとなるということだ。だが、それにはいくつもの障害がある。ひとつは国内の抵抗、もうひとつは近隣諸国の抵抗、それに米国との関係だ。
 国内の抵抗に対しては、選挙や政治の争点をひたすら「経済」にすることではぐらかし、議論を排除する。近隣諸国の反発は無視で対抗しながら、後ろ支えを日米安保と軍事化に求める。「戦争ができる国」は日米安保が前提で、米国の一部がそれを後押ししている。ただし、米国は「肩代わりに使える兵力」を求めているだけであって、「日本軍」の復活を求めているのではない。そこに米国との食い違いがある。首相は就任以来、延べ50カ国以上を回り、援助の約束をばらまいて国連の安保理入りも画策する。それで米国の「強力なパートナー」になろうというのだろう。日米同盟で世界を仕切る?それが夢かもしれないが、いかにも時代錯誤の夢想というしかない。

 いま、世界の経済と軍事の状況はどうなっているのだろう?
 リーマン・ショックとその後の金融恐慌を経て、資本主義システムの破綻が様々に語られている。資源や環境の問題もあり、とくに地球温暖化への対処は急務になっている。「成長」が繁栄をもたらし、人々を豊かにするという古典的な見方はもはや成り立たず、根本的な考え方の変更が求められているのだ。
 他方、輪郭も制約もない「テロとの戦争」の動向は、軍事力が世界秩序安定の解決にはならないことを示している。
 石油利権を背景に「解放と民主化」を掲げた米国の戦争は、とうとうイラクとシリアに「イスラム国」を生み出すことになった。一方的な空爆や無人機攻撃はウイルスのように「敵」を変異させる。いまでは米国でさえ戦争に「勝つ」ことはできないのだ。日本が手伝っても、世界の混迷を深めるだけだろう。
 安倍政権の目指す二つの方向は、いずれにしても展望がない。それでも「この道しかない」というのなら、日本は徒刑囚を使役するガレー船(手漕ぎの軍船)のような国家となって、秩序の見えない世界をダッチロールし、やがて難破するのがおちだろう。船をこぐのは広範な貧困層、運営主は富裕層だ。そしてその仕組みが内部で露見しないように、すでに特定秘密保護法も用意されている。
 難破を、いやその前にガレー船化をくいとめるため、われわれは何ができるのか。重い課題が山積している。
〈随時掲載します〉

(本文太字:引用者)

 この文章の気持ち悪いところは、いろいろと突っ込みたいのに、何をどう突っ込めばいいのかすぐには見定められないところです。明らかに正論だから突っ込みどころがない、のならいいのですが、実際はむしろ、徹頭徹尾理屈をすっ飛ばして頭ごなしの「決めつけ」に満ちているから議論のしようがない、って感じなんですよね。
 それでも、がんばっていろいろイチャモンをつけてみましょう。

>「戦後レジーム」とは、敗戦によってできた「非戦」の体制のことだとすれば、それを「脱却する」とはとりもなおさず、戦争の準備をすることを意味する。

→じゃあ、「戦後レジーム」から脱却しなければ、日本は未来永劫戦争と無縁な国でいられるのでしょうか? 西谷先生は「『戦争ができる国』は日米安保が前提」といいますが、戦後レジーム下の「非戦」体制だって、日本の代わりに米国が戦ってくれるという安保条約が前提だったんじゃないですかね。あと、西谷先生は安倍政権の方針を後押ししているのは「米国の一部」だとおっしゃってますが、日本の集団的自衛権行使容認や特定秘密保護法を支持してるのはオバマ政権そのものですよね。政府を「一部」呼ばわりするあたりに、サヨク学者の反骨精神というか、図々しさがうかがえて面白いです。

 あと、西谷先生の論法で卑怯なのは、「戦争ができること」と「他国を侵略すること」をわざと混同しているところ。たとえれば、
「なに? 空手道場に通いたい? さては誰かを殴るつもりだな」
って言うのと同じです。
「クラスのみんながやってるのに、どうしてボクだけ空手を習っちゃいけないの?」
「だっておまえはバカだから、技を覚えたらすぐ近くの子に試してみたくなるだろ?」
「そんなことないよ。だってボクいつもいい子にしてるじゃん」
「いいや、どうせおまえはバカだから、きっと問題を起こすに決まってる」

戦後レジームからの脱却というのは、この「どうせおまえはバカだから」というレッテルを払拭することに他なりません。・・・それが許されないことなんですかね?

 戦争というのは、必ず相手がなければ成立しません。「侵略戦争」があればそれに抵抗する「防衛戦争」もあるわけです。日本の憲法解釈は自衛隊発足の時点で個別的自衛権の行使を容認しているのですから、日本はとっくの昔に防衛戦争ができる国になっています(勝てるかどうかは別として)。
 防衛戦争はいつでもできるようにしておかなければなりませんから、ここで論じるべきなのは日本が「戦争の準備をしているかどうか」ではなく、「侵略戦争をしようとしているかどうか」のはずです。・・・いまの自衛隊の装備は、海を越えて他国を侵略する能力があるのでしょうか?

> 「経済成長」をうたう安倍晋三政権の政策は、大企業を支援し、株高で富裕層を潤わせるが、企業優遇は雇用や労働の条件を劣化させ、多くの人を恒常的な貧困へと追い落とす。
>保護されるのは人ではなく法人ばかりだ。

→正直いって経済のことはわたしにはよくわかりません。法人税にも生活保護にもいまのところ縁がないし。濡れ手に粟でガッポガッポ稼いでいる金持ちは気に入りませんが、ろくに努力もせず生活保護に甘えている底辺連中も不愉快です。
 ただ、人と法人、労働者と企業が必ず対立関係にあると決めつけるのはいかがなものでしょうね。企業が倒産すれば路頭に迷うのは社員たち。逆に企業が潤えば社員の労働条件だってよくなるはずです。サラリーマンの給料が増えればその家族である子どもや女性、お年寄りも恩恵を受ける。それをアベノミクスは狙ってるんでしょう?
 どうして「企業優遇=労働者搾取」という一面的な見方しかできないんですか?
 サヨクの人たちって、企業は庶民を虐げるもの、国家は国民を抑圧するものと信じて疑わないところがあります。「日本は隣国を信頼して武力を捨てよ!」と叫ぶくせに、自分の国の政府や企業は信じず、むしろ対立と分断を煽りたがる。それって矛盾してませんかね。
 だいたい、われわれ庶民にしてみれば、東大卒の大学教授様だって既得権益にどっぷりつかったブルジョアジーにしか見えないんですよね。とくに文系、しかも哲学者と来た日にはw なにエラそうに庶民の味方ヅラしてるんですかって感じ。

 いずれにせよ、アベノミクスが道半ばであることは政府も国民も承知しており、とりあえずもう少しやらせてみようというのが去年の総選挙で下された国民の判断だったはず。近いうちに結果は出るし、結果が悪ければ安倍政権は国民の支持を失って選挙で負けるのですから、大人しく傍観してればいいのにと思うんですが。

>日米同盟で世界を仕切る?それが夢かもしれないが、いかにも時代錯誤の夢想というしかない。

→安倍さんはそんなこと考えているんですかね。わたしはネトウヨですからいまのところ安倍外交を支持しており、改憲賛成派ですが、日本に世界を仕切ってほしいなんて思ってはいません。周辺国にわたしたちの財産(国土・国民)を害されないようにしてもらえれば十分です。でも、自力だけでは自分の国を守り切れない場合に備えて「国際貢献」だってしなきゃいけないことが出てくるのは仕方ないことでしょう。
 あと、強いて言えば、いずれ世界を仕切ろうとするであろう中国を好き勝手させないでほしい、という期待はありますが。

 むしろ、あくまで「平和憲法」の理念を貫こうとする護憲派の皆さんこそ、日本の安全と生存を保持するためには、世界を仕切って地球上から武器と戦争を一掃させなきゃいけないはずですよね。ぜひ中国や北朝鮮に「公正と信義」を叩き込んでやってほしいんですけど。

> 他方、輪郭も制約もない「テロとの戦争」の動向は、軍事力が世界秩序安定の解決にはならないことを示している。

→まあねえ、自衛隊を国防軍に格上げしたところで、後藤さんと湯川さんを救出できるだけの能力は持つのは難しいでしょう。かといって、憲法九条はなおさら無力ですよね。
 日本が拠出する2億ドルは軍事支援じゃなくて人道支援だと訴えているのに、イスラム国はちっとも耳を貸してくれません。捕虜や人質の処刑動画を誇らしげに拡散しているような連中に、「丸腰のアタシに手出ししてごらんなさい、国際社会から非難されるわよ!」という九条バリアが通用するはずもないのです。むしろ、「無防備が一番強い」「話せばわかる」「自分だけは大丈夫」みたいなお花畑思考におぼれて現実を直視しないから、トラブルを招いて周囲にいらぬ迷惑をかけることになるわけで。

 後藤さんはみずから「何が起きても自分の責任です」とメッセージを残してイスラム国に潜入していったそうですが、彼が人質になれば、それに対処する責任と義務を負うのは後藤さん自身ではなく、国家としての日本つまり全日本国民なのです。
 「平和憲法」も同じこと。名誉ある地位だの戦争放棄だの恒久平和だのときれいごとを並べるのはけっこうですが、いざ敵国から侵略を受けた場合、サヨクの皆さんは国民の命と財産に対して責任がとれるんでしょうか。

 西谷先生は安倍政権下の日本を「徒刑囚がこぐガレー船」にたとえ、いずれ難破すると決めつけています。 

>船をこぐのは広範な貧困層、運営主は富裕層だ。そしてその仕組みが内部で露見しないように、すでに特定秘密保護法も用意されている。

→貧富の格差と特定秘密保護法との間にどんな関係があるんですか? 庶民の味方を気取るのなら、知識に乏しい庶民にもわかるように説明してください。
 手漕ぎの航路がダメだというのなら、「この道」以外にどんな道があるんでしょうか。国防を放棄し、国際協調を拒み、経済成長をあきらめ、企業を叩いて、ひたすら貧乏人を優遇すればいいんですか?
 まさか、そんな単純&極端なことを主張しようとしているわけではないでしょう。でも、彼の「論考」は安倍批判に終始し、「われわれは何ができるのか」「重い課題が山積している」と放り出したまま。・・・それ、もしかして「日本をよくするために何ができるのか」じゃなくて、「安倍政権を倒すために何ができるのか」って問題意識ですか?

 この「論考2015」というコラムは〈随時掲載します〉とのことですが、西谷先生が次回以降も執筆するのでしょうか。
 これだけ安倍政権をこき下ろしたんですから、きちんと道筋をつけた対案を示してほしいですね。そうでなければ、わたしたちはガレー船だろうが丸木舟だろうが、目の前にある船でこぎ出すしかありません。たとえ嵐が来るとしても、挑戦する価値はあります。いつまでも「戦後レジーム」という名の流刑地で、屈辱的な宮刑に甘んじていても未来はないのですから。

テーマ : サヨク・在日・プロ市民
ジャンル : 政治・経済

ザイトクもカウンターもプロ市民も一網打尽にされてしまえばいいのに♪

 信濃毎日新聞の1月3日の社説の見出しは「戦後70年に 排外主義 克服へ 地域の平和力を」
 全文はこちら→http://www.shinmai.co.jp/news/20150103/KT150102ETI090004000.php

 以下つまみ食い的に引用します。

 街頭で声高に民族差別をあおるヘイトスピーチが全国各地に広がっている。書店には、中国や韓国への反感をあらわにした本が棚の一角を埋めるように並ぶ。異様な光景が日常化しつつある。

 ヘイトスピーチの矛先が向いているのは主に、朝鮮半島に出自を持つ在日コリアンである。東京、大阪、京都などで、デモや街宣が一時は毎週のように行われた。その様子はインターネットの動画サイトに掲載されて拡散した。

<対抗する活動も>
 「うじ虫を日本からたたき出せ」「反日民族は皆殺しにしろ」…。聞くに堪えない言葉だ。「ほんま憎くてたまらない。鶴橋大虐殺を実行しますよ」。在日コリアンが多く住む大阪・鶴橋で叫んだのは中学生の少女だった。やり切れない思いがする。

 ヘイトスピーチの拡大は、2000年代にネット上で広がった差別的な書き込みに端を発する。ネットでまき散らされた差別や憎悪が、街頭での行動として現れた。中心的な団体が「在日特権を許さない市民の会」(在特会)だ。

 攻撃は、被差別部落の人たちなどさまざまな少数派や、反原発運動、平和運動にも向けられている。威圧的な言動によって、物言えぬ社会になっていく怖さがある。

<歴史観を共有する>
 信州で排外的なデモや街宣があったとは聞かない。だからこそ今から、できることを考え、行動を起こしたい。


 どうなんですかね、街頭での過激なヘイトデモはいまも盛んなのでしょうか。信毎さんが言うように長野県でヘイトデモが起きたという話は聞きませんから、わたしのような田舎住まいの一読者にはどうもピンと来ません。今から行動を起こせと言われてもねえ。こんなブログをシコシコ更新するくらいしかお手伝いできませんw

 すでに2013年4月の段階で、デモ主催者側は過激なアピールを厳しく自制するようになったという報告もあります(→「殺せ」「叩き出せ」封印に追い込まれたヘイトデモ)。YouTubeで「ヘイトデモ」を検索して出てくる動画を見る限り、えげつないプラカードは鳴りを潜め、いわゆる「カウンター」の皆さんの方がむしろ騒々しい印象です。ま、正直どっちもバカっぽい。いい加減にしてほしいですね。
 ヘイトデモの現状はともかく、少なくともいわゆる「嫌韓本」を十把一絡げでヘイト扱いするようなメディアの社説は、安易に受け入れたくありません(関連記事:「韓国とサヨクは嫌韓ブームの後に気をつけろ」)。
 外見(タイトル)だけ見て内面(本文)を理解しようとせず「異様」の一言で切り捨てるのって、差別をみずから実践しているも同然じゃないですか。その点、果敢に中身を批判しようとしているリテラのエンジョウトオル氏は立派ですが、彼の記事は煽り文句が派手なだけで批判の中身はいつもみみっちいのが残念(参照:「トンデモぶりに背筋も凍る!? 冬の「ヘイト&嫌韓本」ワースト5」)。

 信毎さんはまだ主張していないようですが、サヨクの皆さんの中には「ヘイトスピーチ規制法」を作ろうという動きがあるそうで。
 断言してもいいですが、もし日本でそんな法律ができたら日韓関係はますます悪化するでしょう。日本国内で「じゃあ韓国人や在日コリアンは他者に対してヘイトスピーチをしていないのか?」という不信がふくらみ、いわゆる「カウンター」団体の行動や韓国本土の反日デモに対する視線が厳しくなることが目に見えているからです。彼らのパフォーマンスは総じて過激ですから(たとえば→過去記事)、日本人の嫌韓に油を注ぐことになるでしょう。「在ソウル日本大使館前の水曜集会を中止させろ!」と在韓日本人が裁判に訴えるなんて事態も出てくるかもしれません。

 そもそも韓国は国連から問題視されるほど人種差別が深刻な国ですし(レコードチャイナ記事)、韓国の反日の背後には根強い民族差別意識が横たわっていると指摘する韓国ウォッチャーもいます(「日韓問題(初心者向け)」記事→これとかこれ)。
 韓国の掲示板には、日本および安倍首相さらには天皇陛下に対する罵詈雑言が溢れていることはいまさら指摘するまでもないでしょう(おすすめ:みずきの知韓宣言ホル韓ニュース速報「改」)。まあ日本のネトウヨも掲示板ではガラの悪い発言ばかりしていますからどっちもどっちですが、この「どっちもどっち」という認識が日本人の間に定着すること自体、「韓国人の反日は正義だけど日本人の嫌韓は人種差別」ということにしておきたい韓国やサヨクメディアにとっては不都合なはずです。

 そんな状況下でヘイトスピーチ規制法を押し進めれば、主導したサヨクの皆さんも立場を悪くするでしょう。彼らのデモがけっしてお行儀のよいものではないことは、信濃毎日新聞すら認めています。

2015年1月4日付け31面

戦後70年 信州から 『平和』を問う【3】 第1部 二択を超える(下)

「ファシスト」「死ね」―。安倍政権が集団的自衛権の行使容認を閣議決定した昨年7月1日。都内の首相官邸前にいた長野市出身の慶応大生塚田耀太さん(21)の耳に、官邸に向けた罵声が聞こえた。閣議決定に反対する趣旨ののぼり旗を掲げ、中高年が目立つデモ隊からだった。
 塚田さんは交流サイト「フェイスブック」でデモを見に行こうと呼び掛け、若者約100人が集まっていた。閣議決定に賛成の人も反対の人もいたが、「こんな暴言を浴びて、自分がやったことを改めようと思うか?」「変わらないよな」という声が出た。
 「賛否はともかく、自分たちに関わる可能性がある問題の現場は自分の目で見ておきたい」。塚田さんは思ったが、罵声があふれるデモに「何一つ変わる気がしなかった」。塚田さんは今、集団的自衛権行使容認の是非に関心を持てないでいる。


 この記事は、こうしたガラの悪い既存のデモに不満を抱いた若者が、ヒップホップの曲にのせて特定秘密保護法反対のパフォーマンスに取り組んでいる様子などを伝えています。「サヨク頑張れ」という結論ありきとはいえ、安倍政権を批判する側にも問題があることを認めている点で、信毎にしては珍しい記事です。

 サヨクさんたちの過激なデモは沖縄でもお盛んなようで、YouTubeで「沖縄 プロ市民」で検索すると「うわあ…」って感じの動画がいくつもヒットします(とくに有名なのがこれでしょう)。彼らの言動が「差別」にあたるかどうかはともかく、限りなく反社会的であり、名実ともに「基地外」の名にふさわしいものであることは確かです。

 わたし自身は極右だろうがプロ市民だろうが、騒々しく見苦しいデモは大嫌いですから、ヘイトスピーチ規制法の制定によって目障りな騒ぎが減り、一方で「差別とはなにか」「なぜ嫌韓がヘイトで反日は正義なのか」といった国民的議論が巻き起こるのならそれはそれで有意義かもなと思っています。
 でも、いまや日本国民の66.4%が「韓国に親しみを感じない」と答える時代(内閣府の世論調査)です。嫌韓が常識になれば在特会やその類似団体もお役御免になり、ヘイトデモは自然消滅するんじゃないでしょうか。
 そして本来のターゲットを見失ったまま成立した規制法が、感情任せの抗議しか能がないプロ市民の皆さんに襲いかかる―なんて近未来が来ないとも限りませんよねえ、有田芳生センセ?

テーマ : サヨク・在日・プロ市民
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